四面楚歌は天からの贈り物

メンタル

四面楚歌は一角の人物への登竜門

あなたは四面楚歌を体験したことがあるでしょうか。

周りはみんな敵ばかりで、
誰も味方してくれる人がいない究極の孤独。

ヒリヒリと心臓を締め付けられるような圧迫感。

チクチクと無数の冷たい眼差しが突き刺さる。

誰もが逃げ出したくなるような、あの瞬間です。

私はこれまでに何度もあります。

20代で初めて四面楚歌を体験した時には、
死ぬような苦しみを感じていたものですが、
最近では少々心臓に毛が生えてきたようです。

四面楚歌に立たされると、
居並ぶ敵にたった1人で立ち向かっている
自分をメタ認知して、痛快さすら覚えます。

なぜなら、これまで読んできた小説や
鑑賞してきた映画の中で、
ヒーローは必ず四面楚歌の場面に立たされ、
その苦境をたった1人で乗り越えていく姿を
予習してきたからです。

私にとって四面楚歌は決して忌避すべきものではなく、
人生を彩るバリエーションの1つに過ぎないのでは
ないかと考えています。

実際、数多くの偉人伝には、
同様の逸話が必ずといっていいほど書かれており、
四面楚歌を体験することで人は厳しさを獲得し、
魅力的になっていくのではないでしょうか。

四面楚歌状態になって、本当の友がわかる

中国の「戦国策」という古典に、
次のような逸話が出てきます。

戦国四君の1人である孟嘗君が権勢を失ったときに、
それまで群がっていた人たちが次々と離れていきました。

そのことを根に持った孟嘗君は、
自分を裏切った人の名前を500人分
メモに書きつけて持ち歩き、
恨み骨髄に徹していました。

そのことを聞いた譚拾子は孟嘗君に対して
次のように問いかけます。

「あなたは自分を裏切った人たちのことを
恨んでいますか。」

「当然だ。殺したいほど憎んでおる。」

「彼らがあなたを裏切ったのには道理があるのです。
朝に市場が立つと人であふれます。
しかし、夕方に市が閉じると誰もおらず閑散とします。
これは朝が好きで夕方が嫌いだからではございません。
欲しいものがあるから人が集まり、
欲しいものがないから去った。
それだけでございます。
人というのはそういうものではございませんか。」

「・・・・。」

かくして孟嘗君は、裏切り者リストを書きつけたメモを処分し、
不満を口に漏らすことがなくなったということです。

あなたも四面楚歌を体験すれば、
この孟嘗君と同様の体験をするようになります。

「人とはかくも利にさとく、情に薄いものか」
と天を呪いたくなるかもしれません。

しかし、譚拾子の言葉を借りれば、
「それが人間」なのです。

四面楚歌になれば、人が離れるのが当たり前。

自分だって、時と場を変えれば同様のことをするに
違いないのです。

「裏切り者への復讐」だなんて馬鹿なことは考えず、
淡々と成すべきことを成していればよいのです。

逃げる人間か、踏みとどまる人間か、
人はそこだけを見ています。

あなたが負けても腐らず、淡々と成すべきことを
成していれば、心ある人は必ずそのことに気づきます。

そのうち、あなたのそんな姿を見て、
1人また1人と人が戻ってくるのです。

あなたは何事もなかったかのように、
笑顔で許してやればいいのです。

最高の復讐とは、笑顔で相手を赦してやることです。

なぜなら、赦すのは格上にしかできない行為であり、
赦された相手は以後の人生を格下として生きることに
なるからです。

1つ言えるのは、あなたにとって
最良の友はあなた自身であり、

あなたが自分のことを見放さない限り、
人生はどうとでもなるということです。

人の価値は修羅場を踏んだ数に比例する

修羅場から逃げ回る人生ほど、
みっともないことはありません。

修羅場をくぐり抜けることで、
人は面構えが変わります。

お子ちゃまだった自分から、
大人としての自分にセルフイメージが
書き換わるのです。

もちろん、目の前の困難があまりにきつくて
耐えきれないこともあるでしょう。

そうした時には、逃げるのも選択肢としてはアリです。

自死を選ぶくらいなら、サッサと退散して
自分の心身を守ることの方が優先です。

ただし、その際に「自分は逃げた」という自覚を
きちんと持っておくことです。

人のせいにしたり、言い訳がましくなったりした時点で、
人生のステージが下がってしまいます。

人生の課題というのは、時と場を変えて
必ずまた巡ってきます。

しかもやっかいなことに、後になればなるほど
ハードルが高くなっていきます。

そう考えると、課題が訪れた時に「エイヤッ」と
立ち向かっておくのが最も賢いのかもしれません。

「そういえば、最近私には修羅場が訪れないな」
と思っているとしたら、その理由は1つです。

それは、人生において挑戦をしていないからに他なりません。

なぜなら、挑戦している人に天からのギフトとして
与えられるのが修羅場だからです。

「えっ、なんで頑張ろうとしている人に対して、
わざわざ苦しめるように修羅場が与えられないと
いけないの?」

挑戦している人が事を成すには、
過去の古い自分のままで居続けることはできません。

現在の自分の器を壊して、
さらに大きな器として自分を作り替えない限り、
新しいものは手に入らないのです。

器を壊すために天がギフトとして与えたのが
四面楚歌というわけなのです。

正確には四面楚歌そのものがギフトなのではなく、
そこを潜り抜けた先に待っている
新たな人生のステージこそがギフトです。

人生のステージが変わった瞬間、
人は一瞬でそのことを直感します。

まるで空中を覆い尽くしていた雲が晴れて、
スコーンとどこまでも青空が広がっているような
開放感を全身の細胞で感じるからです。

夜明け前が一番暗いと言われるように、
四面楚歌の状態はどこにも救いがないように
感じるかもしれません。

しかし、四面楚歌をじっと受容し、
ファイティングポーズを崩さなければ、
待ち望んでいた夜明けは必ず訪れるのです。

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