教師はブラック?
巷のマスコミ報道では、よく「教職はブラック」だの
「教師の不祥事」が取りざたされ、
まるで教職は「負け組」のような扱いを受けているようです。
でも、本当にそうでしょうか?
数年間うち続いたコロナ騒動の中で、
いったいいくつの商売が成り立たなくなり
消えて行ったことでしょう。
そんな中でも、まったくコロナなどどこ吹く風と、
ノウノウと暮らしていける教職員は、
本当にブラックなのでしょうか。
教師が自分たちのことをブラックだと認識しているのを知ったら、
コロナ禍で仕事を失った人たちはどう思うでしょうか。
「バカヤロー、しっかりしろよ。
お前らは世間から必要とされてるんだぞ。」
と怒鳴りたくなるに違いありません。
私たちはそろそろマスコミの洗脳から抜け出して、
世の中の本質をきちんと見抜く眼を持たなければならない、
私はそう思います。
自虐ネタに走る教職員
職員室での会話を聞いていると、職員同士で暗い会話を交わしているのを、
よく耳にします。
中でも腹立たしいのが、「教員はブラック」というワードが
聞こえてきたときです。
世間知らずの若手がそのように口走るのなら、まだ許せます。
しかし、いい年した中堅教師がしたり顔で持論を展開するのを見ると、
本当に情けなくなります。
立場を変えて考えてみてください。
あなたのお子さんを担任している教師が、
自分のことを「しがない教員」とか「教職はブラック」だと
考えているとしたら、そんな人のことを信用できるでしょうか。
きっと自分の仕事に誇りを抱く先生に、子どもを預けたいと考えるはずです。
悩み多き青年教師時代
偉そうなことばかり書いてきましたが、
私の若い頃はそれはそれは悲惨なものでした。
初任で配属された学校は、県内でもっとも荒れた中学校で、
警察沙汰、暴力事件の絶えない学校でした。
当然、学級も授業も上手くいかず、極度のストレスにさらされ、
心身共にボロボロの毎日を過ごしていました。
そんな中、毎日のように夢想していたのは、
いかにしてこの悩み多き生活から抜け出すか、
ということだけでした。
すごい先生の話を聞きに行ったり、
本を読んだりしましたが、
現状は何も変わらず腐りきって生活していました。
私にとって青年期は、まさに人生の暗黒時代でした。
1冊の本に目を開かされる
そんなある日、ふと立ち寄った本屋さんで、
何気なく手に取ったのが文筆家である千田琢哉さんの
「伸びる30代は、20代の頃より叱られる」という本でした。
この本を読んだ瞬間、ガツンと頭を殴られるような衝撃を受けたのです。
千田さんのストレートに本質をズバッと突いてくる文章の小気味よさに、
魂を揺さぶられたのです。
まさに私は言霊の力によって、人生を救われたのです。
「ああ、自分もこんな生き方がしたい」
そのときから、私の人生は暗く長いトンネルを抜け出し、
新たなステージへと舵を切ることとなったのです。
仕事の楽しさを知る
ウィリアム・ジェームズの言葉に、
「言葉が変われば心が変わる。
心が変われば行動が変わる。
行動が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。」
というものがあります。
私の人生も、この言葉通りに変わっていきました。
千田さんの本の影響で、考え方が変わった結果、
10年間でまるで違うステージにたどり着きました。
もしも、あのときふとした偶然で
「伸びる30代は、20代の頃より叱られる」
と出会えていなかったら、今も不平不満をこぼしながら、
ダラダラと煮え切らない人生を送っていたに違いありません。
もちろん、こうしてブログを綴ることもなかったと断言できます。
日本中の先生を元気にしたい
前述の千田琢哉さんは、20代の頃の自分自身を想定して
本を書いているとインタビュー記事で読んだことがあります。
20代の頃に直面した悩みや苦しみ、
その解決のヒントになるような本をあの頃の自分に読ませたい、
という思いで筆を執っているのだとか。
私も千田さんのスタンスに倣い、
何もできなかった青年教師の自分を救うつもりで、
何もできなかった青年教師の自分を救うつもりで、
ブログを綴っていきます。
それがもしも少しでも読者の皆様のお役に立てるのであれば、
筆者冥利に尽きます。