誰かのために

メンタル

偉業を成した人には共通点がある

先日、広島県の尾道市にある
生口島に行ってきました。

お目当ては平山郁夫美術館です。

日本を代表する芸術家の故郷が、
風光明媚な瀬戸内の小さな島であるという事実を初めて知り、
ぜひともこの美術館を訪れたいと考えたのが訪れた動機でした。

美術館の入り口には、平山郁夫のこんな言葉が掲げられていました。

「瀬戸内の自然の中で、自分がいかにして感性を育んできたか、
その過程を見ていただくことが、創造性における原理原則を
発見していく上での参考になるのではないだろうか」

私はこの言葉を読んで、大変に感銘を受けました。

彼はただ自分のことだけでなく、
後に続く世代のことまで考えている。

そして、自分がこの世を去った後のことまで考えて、
自分が生まれ育った島に美術館を残したのだと。

その前日には、愛媛県の松山を訪れていました。

道後温泉に行くことが主たる目的でしたが、
もう一つのお目当ては正岡子規の足跡を辿ることでした。

子規は現代俳句の父と呼ばれ、
松尾芭蕉を神格化する風潮を否定し、
与謝蕪村を再評価したことでも知られています。

また、古今和歌集の様式美を批判し、
万葉集を評価し、俳句界に新風を吹き込んだ
人物としても知られています。

子規は病弱のため晩年は病床に臥せり、
34歳の若さでこの世を去ります。

しかし、そのあまりにも短い生涯に比べると、
その残した業績はとてつもなく偉大だと言わざるを得ません。

正岡子規もまた、平山郁夫同様に広く世の中に目を向け、
業界の生々発展のために尽力した生涯であったと言えるでしょう。

ヴィジョンの大きさが成功のスケールを決める

「別にボクは偉業を成したいとも思ってないから、
関係ないや」

そう思った人もいるかもしれません。

しかし、ここで1つ警告をしておきます。

自分のことしか考えていない人は、
自分のことすらままならないという
人生の原則があります。

たとえば、独身の人が「自分一人だけ食べていければいいや」
と考えているとします。

普通に考えると、独身貴族で自由にお金を使えるので
良い生活をしているだろう、というイメージがあります。

ところが、そう考えている人は、自分一人が食べていくだけで
カツカツという状態に陥り、満足に貯金も残せないのです。

次に家庭持ちの人が、「自分の家族が食べていければいいや」
と考えているとします。

この場合、家庭がなんとか食べていける程度のお金しか
残らないという経済状況を招き寄せてしまうのです。

会社経営も同じです。

「自分の会社がつつがなく経営できればいい」と
考えている人の会社は、なんとか会社が回る程度の
お金しか残せません。

では、次々と会社の規模を拡大させていっている
会社の社長は何を考えているのでしょうか。

そうした社長は、業界全体、あるいは地域社会、
あるいは日本全体のことを視野に入れて、仕事をしているのです。

そのヴィジョンの器に応じて、
お金が入ってくるようになっているのです。

では、どうしてこのような現象が起きるかというと、
「運は人が運んでくる」からです。

自分のことしか考えていない人には、
同様に自分のことしか
考えていない人が集います。

同様に、大きな視野で物事を捉えている人のところには、
同じく大きな視野で物事を捉えるスケールの大きな人が集うのです。

スケールが大きな人が交流するので、
結果として動くお金の額も跳ね上がることになるのです。

運は人が運んでくる

先ほども述べましたが、運は人が運んできます。

換言すると、人から嫌われると運が遠のき、
人から好かれると運が近づいてくるということです。

私はこれまで多くの生徒たちや同僚、
仕事で関わってきた人たちを観察してきて、
これは間違いのない事実だと確信を深めつつあります。

では、人から好かれるにはどうすればいいのでしょうか。

答えはシンプルで、「与えること」です。

人は、誰かから与えられると、
お返しをしなければという気にさせられます。

これを「返報性の原理」と言い、
人間の普遍的な心理です。

つまり、与えれば与えるほど、
直接的にしろ間接的にしろ、
誰かが逆に与えてくれるという現象が起きるのです。

これが幸運を人工的に作り出すためのメカニズムです。

逆に、人から奪うことばかりを考えている人は、
周りから煙たがれます。

それが積もり積もれば、やがては憎悪を抱かれる
ようになるかもしれません。

このような生き方をしている人が幸運を掴むことは、
たとえ太陽が西から上ったとしてもあり得ないことです。

運を掴む最短の方法は、目の前にいる人を大切に扱うこと。

そして、人々に与えることを考えて生きることです。

自分を犠牲にするのは間違い

「ならば、自分をさておいても人に与えよう」と
先走るのはやめてください。

もしも、与えるだけで人が幸せになれるのであれば、
宗教団体に高額のお布施をする人は全員豊かに
なっていなければなりませんが、現実はその逆です。

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という言葉があるとおり、
「与えすぎ」もまた良くないのです。

では、適正に人に与えるにはどうすればいいのでしょうか。

まずは自分自身を満たすことを心がけることです。

堂々と豊かになることを目指すことです。

その上で、自分の内なるコップから豊かさが
溢れ出てくるようになったら、
その溢れ出た分をお裾分けすればいいのです。

真に与えるとはそういうことです。

間違っても自分の命綱を手放して、
誰かに与えようとしてはいけません。

自分の人生の主導権はあなたにあるのであり、
誰かに主導権を渡すような愚かなことをしてはいけないのです。

自分ができる範囲で与えることを続けていくと、
与えた分が少しずつ返ってきて、
やがて豊かさの循環の中に入っていくことができるのです。

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