1つの仕事がモノになるのに最短で10年

仕事

部活指導での気づき

先日、お世話になっているクラブチームのコーチに誘われ、
1泊2日で水泳部の合宿に行ってきました。

私は学生時代、特に水泳をやっていたわけではないズブの素人ですが、
前任校から含めてかれこれ6年間水泳の指導に携わっています。

そのコーチにお会いしたのが今からちょうど6年前で、
右も左も分からない頃からのお付き合いということになります。

合宿の夜、コーチと飲みながらあれこれ語り合っている時に、
練習メニューの組み方について話題が進んでいきました。

その中でコーチに色々と突っ込んだ質問をしながら、
気づいたことがあります。

それは何気なく私が発する、質問の「質」自体が
大きく変わっていたことです。

「〇〇の練習の目的について、
私はこのように考えているのですが、いかがですか?」

「すべての練習には意図があるということですね。
単に強豪チームと同じ練習メニューを手に入れて、
表面をなぞってもその結果には天と地の開きが生まれるわけですね。」

「練習の質を常に高め続ける努力が必要なんですね。」

途中から、赤ら顔のコーチの視線が鋭くなり、
本気になって私の問いに向き合ってくださるようになりました。

「ああ、これだ」と私は感じました。

仕事に取り組む姿勢や、思考のあり方については、
誰も手を取っては教えてくれません。

仮に教えてくれる人があったとしても、
その器が準備できていない限り取りこぼすだけです。

結局のところ、自ら悟ることでしか
本質に近づく道はないのです。

その夜を境に、私の中で何かが変わりました。

コーチに対して、「こんな練習メニューを思いついたのですが、
改善点があれば教えてください」
と尋ねたり、
メールで練習方法について質問したり、
と部活指導に対する取り組む姿勢が一変してしまったのです。

おそらく、私を変えた一番の要因は
きつい練習に果敢に取り組む生徒たちの姿勢に感銘を受け、
「この子らのために、できることはなんでもしてやろう」
とハートに火がついたことにあると思います。

でも、気持ちの熱さだけでは教育はできません。

その裏付けとなる知識や技能がプロレベルに達していなければ、
子供たちを教え導くことはできないのです。

先ほど、6年間に渡る水泳部の指導キャリアがあると述べました。

それに加え、教職経験は20年以上のベテランです。

それらの経験が熟成され、顕在化したのが
ちょうど6年目の「今」だったというわけです。

文章を志してちょうど10年

文章で自分の考えを表現するという活動を志して、
今年で丸10年が経過していることに気づきました。

きっかけは、文筆家の千田琢哉さんの書籍と出会い、
彼のブログを読み漁り、手に入る限りの講演動画や
音声を聴きまくっているときに、
彼がこんなことを語っているのを耳にしたことです。

「わざわざお金を払って本を買うという消費活動をしている方は、
それだけで向学心のあるトップ層の方だと思うんです。
だからこそ、私は読者の方にいつかは本を書けるくらいに
ご自身の仕事に取り組んでもらいたい。
実際に本を書く、書かないは別にして、
声がかかったらいつでも本を書けますよ、
という状態にしておいてほしい。」

彼の言葉は、目標を見失いモヤモヤしている日々を
送っていた私の心に、ズドンと突き刺さりました。

まさに、千田さんの言葉が、その後の私の人生を根底から
変えてしまったのです。

また、ちょうどその頃、検査入院していた母を見舞った時、
母から不思議なメッセージをもらいました。

「与えられた能力と時間を無駄にせず、学びなさい。
あなたなら中国語を学んでみるのも面白いと思うよ。」

要約するとこんな感じのことを言われたのです。

残念ながら中国語を学ぶことはありませんでしたが、
その年の夏休みほとんど家から一歩も出ず、
ひたすら読書三昧、勉強三昧に明け暮れたのは、
母のこの一言があったからと言っても過言ではありません。

後にも先にも、何も考えずに読書だけに打ち込んだのは
あの夏だけであり、今でも懐かしく振り返る思い出です。

実は、私には過去にも似たような経験があります。

中学時代、ヤンチャな公立校に通っていたこともあり、
周囲の不良に舐められないよう体を鍛え、
ケンカばかりしていたことがあります。

その時、おとなしめの友人が
「君にはそんなの似合わないよ。
君は勉強で頑張った方がいいと思う。」
とポツリと漏らしたのです。

それから、私の生き方が変わりました。

本気で勉強するようになり、
下降していた成績が一気に跳ね上がったのを
覚えています。

母の言葉と、おとなしめの友人からのメッセージ。

なぜ私がこんなにも印象深く記憶に刻みつけているかというと、
普段の彼らが発する言葉とも思えなかったからです。

その後、母から「学びなさい」と言われたことはないし、
おとなしめの友人はお世辞にも勉強ができるタイプではありませんでした。

だから、通常であれば「お前が言うなよ」と、
まともに取り合うこともしないはずです。

にもかかわらず、私が彼らの言葉に突き動かされたのは、
そこに尋常ならざるものを感じ取ってしまったからです。

例えて言うなら、神様が彼らの口を借りて
私にメッセージを発したことを思わせる気配。

そうとしか思えないほど、その時の彼らは不可思議な雰囲気を
全身に纏っていたのです。

幸運なことに私は、節目節目で人生を変えるメッセージをいただき、
言葉の力を糧にしながら生きてくることができました。

「いつでも本が書けるようになる」というヴィジョンを
胸に生きてきた私が、目安にしてきたのが10年という期間です。

ダラダラ生きてきた10年には何も価値はありませんが、
何事かを成そうと努めてきた10年には現実を変える力が
あると信じています。

これまで、私が幾多の人々から言葉を通して人生を変えてもらったように、
私自身も自ら操る言葉の力で人々の人生を変えていきたいと
考えているところです。

目の前の仕事にどう取り組むかが未来を決める

先日、同僚である年上の国語教師の女性が、
ちょうど私が教材分析を始めたばかりの評論文の
授業の準備をしているのが目に入ったので話しかけました。

「先生も、教材研究されているんですね。」
同志に呼びかけるような親しさで話しかけると、
こんな言葉が返ってきました。

「そうなの。でも、この教材文は難しいから
生徒も読めないかなって思って、
ワークシートを作って終ろうかなって思っている。」

「肩透かし」と言うのは、こういう状態を指すのでしょうか。

私は心の中で、「あんた国語の教師だろ。
プロとして恥ずかしくないのか。
あ、いやこんな人をプロと呼んではいけないな。」
などと毒づきながら二の句も告げずに黙っていると、
彼女も私の内面を察したのか
「まあ、先生は自分のやりたいようにやればいいんじゃない」
とサラリと返してきました。

1つ言えるのは、こうした生き方をしてきたツケは、
いずれ払わされることになるということです。

おそらく、彼女には国語教師としての、
そして、一人の人間としてのヴィジョンを持ち合わせていない
のかもしれません。

大事なことは人のことを責めることではなく、
「他山の石」として自らの戒めとして自分の姿を顧みることです。

10年というスパンで仕事をとらえることの大事さについて
前述しましたが、それと同じくらくらい目の前の仕事に
真剣に取り組むことも重要です。

胸の中に掲げるヴィジョンと、目の前の仕事が一本の糸で
繋がっているのが感じられるからこそ、
今日を充実して生きることができるのです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました