左脳と右脳

メンタル

自分はどちらの脳が優位か見極める

以前、「右脳ブーム」なるものがあり、
幼児教育の分野などでもてはやされていました。

しかし、現在では完全に下火になっているようです。

そもそも、「右脳型」「左脳型」なる分類が
現実的かどうかさえ、定かではありません。

そのことを念頭に置いた上で、改めて問います。

あなたの脳は、どちらが優位だと思いますか。

例えば、私は国語教師をしており、
言葉を扱うことを生業としています。

一般に言語能力を司るのは「左脳」とされており、
その意味では私は「左脳型」にカテゴライズされて
しまうのかもしれません。

ところが、自分のプライベートを観察してみると、
必ずしもそうとは言い切れないのではないかと思えるのです。

確かに私は、人の何倍も読書しています。

暇さえあれば、本の世界にどっぷり浸かって
言葉の世界を堪能しています。

しかし、その一方で私は音楽を聴くときに、
「右脳」優位で聴いているという自覚があります。

例えば、J-POPの楽曲を聴くときなど、
よほど好きなアーティストを除いて、
私はほとんど歌詞を味わいません。

日本語の歌詞さえも「音」として処理しており、
歌詞の内容を味わうのは歌詞カードを
目にした時だけなのです。

しかも、音楽で好きな分野は、
ジャズやヒュージョンなどのインストゥルメンタル(楽器演奏だけの曲)
に偏っており、音楽には「言葉なき世界」を求めているのです。

そうした性向を見るにつけ、私はどちらかというと
「右脳型」に属するのではないかと考えています。

ちなみに、私の妻は完全な「左脳型」で、
中高時代は数学を得意としていました。

大学に派遣留学に行った時など、
論文指導の中で「執筆する前に、頭の中身を図式化してみては」
という教授のアドバイスに対して、
「私は言葉でしか考えられない」と答えたそうです。

彼女などは、典型的な「左脳型」に属するのではないでしょうか。

私も中高時代は現代文と数学が得意でしたが、
「論理を組み立てて解く」というタイプでは
なかったように思います。

 

基本は自分の得意を伸ばすこと

私は若い頃、武術や気功、呼吸法などの修行に
打ち込んでいたことがあります。

本当に不思議なんですが、感性を研ぎ澄ませていくと、
見えないものが「観える」ようになってきます。

とは言っても、別にオカルトチックなものが見えるように
なるわけではありません。

相手のウィークポイントが闇夜の中で照らし出されるように、
浮かび上がってくるのです。

この程度のことは、もしかしたらプロの武術家、
格闘家、治療家の方々にとっては当たり前のことかもしれませんが、
私程度でも当時そのくらいのことは普通にできたのです。

また、日常のコミュニケーションにおいても、
相手が何を考えているかを大体読み取ることができました。

そのこと自体はアドバンテージなのかもしれませんが、
見なくてもいいものを見てしまい、人知れず傷つくことも
多かったのです。

いわゆるHSP(非常に感受性が強く、敏感な気質を持った人)
状態になってしまったようで、ネガティブな気を受けてしまい、
生きることを苦しく感じたこともあります。

下丹田(下腹に位置し、胆力を司る)をきちんと育てないまま
感性だけを開いていくのは、無防備なまま外界に飛び出すのと
同じくらい危険なことであることを知りました。

話は変わりますが、何年か前に花火と音楽がコラボした
催しに出かけたことがあります。

だだっ広い会場で敷物の上に座り、
打ち上がる花火を眺めながら音楽に耳を傾けていると、
「右脳」で花火を味わっている自分に気付きました。

自分なりに、このメカニズムについて説明するとこうなります。

通常、花火大会では同行した人と雑談しながら、
ついでに花火を見るというスタンスになることが
多いのではないでしょうか。

ところが、コラボタイプの花火大会では、
大音量の音楽によって周囲と会話することもままならず、
「左脳」が自然とロックされ、
知らず知らずのうちに「右脳」優位に移行させてしまう
のではないか、と考えています。

普段「右脳」を使いこなせない凡人でも、
こうした仕組みに則れば、アーティスト脳を開いて
大輪の花火を鑑賞することができるというわけです。

 

反対側を伸ばすとブレイクスルーに繋がる

若い頃に得意になって、
「右脳」を鍛えてきたという話は前述しました。

しかし、ある時気づいたのです。

「右脳に偏りすぎるとバカになる」と。

例えば、職場の先輩教師などが日常業務などを
「パターン思考」で捌いているのをみて、
「ああ、この人は何も考えていないんだな」
と感じたことがありました。

そして、自分も同様に「パターン思考」で生きてはいないか、
と恐ろしくなったのです。

そもそも、「右脳」を使うとされる芸術家でも、
一流は「左脳」もしっかり鍛えています。

芸大などでも、学生が最初に習うのは論理学です。

私の尊敬する岡本太郎氏も、芸術活動の一環として
執筆にも力を入れておられ、非常に明晰な文章を
書かれていました。

そこで、私も論理の力を鍛え直そうと思い立ち、
大人の手習として現代文と算数の修行に入っていくことにしました。

学生時代は現代文を大の得意としており、
センター試験では常に満点を取っており、
高校卒業後も毎年のように新聞に掲載される現代文を解いては
満点記録を継続していたものです。

その私が久しぶりに現代文に向き合ってみると、
「昔取った杵柄」とはいかなかったようで、
やはり満点は無理でした。

それから大量の入試現代文を浴びるように読み込み、
相当に「左脳」の力が戻ってきたのを感じています。

中高時代、数学を得意としていたので、
こちらも何とかなるかと淡い期待をしていたのですが、
相当に能力が落ちていました。

難関校の中学入試の算数の問題は、
最初全く歯が立ちませんでした。

「未来の東大生は、小学生にしてこんな問題を解いている」
という事実に思い立ち、思わず畏怖の念が湧き起こるのを
禁じ得ませんでした。

最初は解答を読んで理解するだけでも一苦労でしたが、
最近はそれなりに解けるようになり、自分の成長を楽しんでいます。

こうして左脳の力を伸ばしたことは、
ダイレクトに今の仕事を助けてくれています。

例えば、教材文を読んで「教材分析」をしたり、
「教材研究」をしたりする時など、
この力が大きく私を支えてくれています。

また、現在は武術や気功の修行は行なっていませんが、
呼吸法による鍛錬は現在も続けており、
「左脳」と「右脳」のバランスを取るよう
心がけているつもりです。

 

脳を休める時間を持つ

しかし、どんなに脳を鍛えても脳疲労を蓄積してしまっては、
凡庸なパフォーマンスしか残せません。

脳疲労の兆候は、肩こりや首こり、頭重などに現れます。

つまり、肩こりや首こり、頭重などを放置していると、
どんどん頭が働かなくなってしまうのです。

また、四六時中スマホを眺めているのも、
脳疲労の原因になります。

意図的に「何もしない時間」を作り、
脳を休めることがハイパフォーマンスの礎を気づくのです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました