自分の人生を生きる

仕事

あなたは他人の人生を生きていないか

私たちは子どもの頃から、親や先生に
「夢を持て」「目標を持て」
叱咤激励されて育ってきました。

しかし、実際に人生において夢を叶えて生きているのは、
「1%程度」の少数の人々ではないかと思うのです。

では、99%の「その他大勢組」の人々が
夢を叶えられなかったのはなぜなのでしょうか。

「努力不足?」いいえ、努力を重ねたのに、
夢の前で力尽きた人は数知れません。

「才能不足?」確かに、自分の才能を見誤った
という可能性は多分にあるでしょう。

でも、私は問題の本質はそこではないと思うのです。

そもそも、追いかけていたのが
本当に自分の夢だったのかどうか、
そこが怪しいのではないでしょうか。

たとえば、親や先生から
「お前の学力では〜くらいの学校が適当だから」と言われて、
何も考えずに自分の進路を選んだ人が大半ではないでしょうか。

あるいは、親や先生から
「お前は大変優秀だから、医学部に進んで医者を目指せ」
と発破をかけられてきた人もいるかもしれません。

あるいは、マスコミが「時代の寵児」として
もてはやすヒーローを見て、「かくあるべし」と
夢を描いてしまったのかもしれません。

つまりは、「他人の人生を生きてきた」ということです。

「他人の人生」をどんなに上手に生き抜いてみたところで、
たどり着くのは「他人のゴール」です。

これでは目標を達成するたびに「空虚感」がいや増すばかりで、
心にポッカリと空いた穴をお金やお酒、異性などで
埋めようとしたくなる気持ちも理解できます。

ここまでをフーンと他人事のように読み進めている人は、
要注意です。

もはや「他人の人生」と「自分の人生」の境目すら曖昧になり、
自分の幸せを感じ取る力が鈍化してしまっていると言わざるを得ません。

前述したように、この事実は全人口の99%の人々に当てはまるのです。

やりたくないことを明確化する

経営コンサルタントの神田昌典さんの著作に、
「非常識な成功法則」という本があります。

かなり有名な本なので、ご存じの方も多いことと
思います。

この本の中に、「やりたくないことを明確化する」
ことについて述べられている部分があるので引用します。

例えば、ある会社の社長が「上場する」という
目標を社内で掲げたとする。
ところが、売上を増やすために、取引先を拡大する。
すると、嫌な客も増える。
さらに組織が大きくなってくると、部下との衝突がある。
会社が思うように動かなくなる。そうするうちに、
嫌になっちゃうんだよ。
「やっぱり上場なんてするもんじゃない。
このままでいいかな」とね。

ところが、社長同士の集まりに行くと、
売り上げの規模に応じて「あの会社は偉い」と
ちやほやされる。
セミナーに行くと、上場した会社の話を、
さもすごそうに聞かされる。
そこで「俺もやるからには、規模をでかくしよう」
と思う。

要するに、会社を小さくしようと思ったり、
大きくしようと思ったり、あっちへこっちへ
振り子のように揺れ続ける。
そうしているうちに簡単に10年、
20年過ぎてしまう。こんなことが
本当に多い。

それじゃ、振り子状態を脱却するにためには、
どうすりゃいいか?

揺れの両極端を意識する。

そのために、まずやりたくないことを
書き出す。

いまの人生で、この瞬間に消し去りたいことを。

悪の権化になって。できるだけ自分勝手に。

常識なんてクソ食らえだ。

自分の汚い面、エゴをそのままぶつける。

と、結構内容は過激ですが、
実はかなりまっとうなことを言っているのでは
ないでしょうか。

特に、親や先生の言うことをきちんと聞いて
教師になるような「常識人間」は、
相当に世間体や常識的な価値観に毒されている
可能性が高いです。

その常識に凝り固まった頭のままで、
いくら夢や目標を掲げてみても、
常識という鎖に縛られた発想以上のものは
期待できません。

神田さんにならって、あなたも「やりたくないこと」を
書き出してみて、「脱常識」への人生の舵を切ってみては
どうでしょうか。

もちろん、思い切ったことや過激なことを書き出したからといって、
あなた自身がいきなり「非常識」な人間に生まれ変わる
わけではありません。

あくまで「常識」をわきまえつつも、自分の本音に従って生きる
方法を模索するという新たなライフスタイルへと移行していくための
一步を踏み出すに過ぎません。

そこから、あなたがどんな人生を歩み出すかは、
他ならぬあなた次第というわけです。

やりたいことを明確にする

さて、いよいよここからが本番です。

前述した「非常識な成功法則」には、
こんなことが書かれています。

エディ・ベトワーズという美術教師がいる。
絵を教えることについては、天才的な人だ。

彼女は言う。

「親指を描きたいなら、親指を描こうとしては
いけません」

「親指を描くなら、親指の周りの空間を描きなさい」

つまり、本当に「やりたいこと」を見つけるには、
「やりたいこと」を見つけようとしてはいけないということ。

自分にとって「やりたくないこと」が明確になるから、
「やりたいこと」が見えてくるのです。

もしも、「やりたくないこと」を明確にするというプロセスを
すっ飛ばしてしまうと、あなたは世間の手垢の付いた
それらしいことを「やりたいこと」として認識してしまうかも
しれません。

そして、その中には、本当はあなたが「やりたくない」
と思っていることが含まれているかもしれないのです。

そんな悲しい結末を迎えないためにも、
「やりたくないこと」を明確にするというプロセスは
必須不可欠なのです。

もしかすると、これまで「組織の中で管理職に出世したい」と
頑張ってきた人が、
「仕事を辞めて起業しよう」とするかもしれませんし、
「ヒラのままで定年まで働こう」と考えていた人が、
「猛烈に出世を志向し始める」かもしれません。

いずれにしても、「やりたくないこと」を明確にした後の
決断こそがあなたの本音であり、
本来の人生を歩み出した証なのです。

結局のところ、人生の答えというのは
どこかの偉い人が教えてくれたり、
どこかの名著に書いてあったりするわけではありません。

むしろ答えを外側に探そうとしているうちは、
人生はどんどん袋小路に追い詰められていくものです。

「答えは自分の内にあり」という真理に則り、
紙とペンを使って自分を深掘りしていくプロセスの中にこそ、
人生の光明は見つかるのです。

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