成長する人は必ず絶望を経験する

メンタル

絶望は変化のサイン

まず、絶望という言葉の意味について定義します。

絶望とは、これまでのやり方がまったく通用せず、
目の前の問題を何とかしようともがけばもがくほど
深みにハマってしまうような状態のことです。

いわゆる「打つ手なし」と匙を投げたくなって
しまうような状態です。

おそらく誰もが避けたくなってしまうであろう
「絶望」こそが、実は人生の転機のサインなのです。

逆に考えてみてください。

もしも、その絶望があなたの人生に訪れないとしたら、
あなたは現状の自分に満足してあぐらをかいてしまい、
真剣に精進しようとする意欲さえ失ってしまうかもしれません。

ぬるま湯の中に浸かっていると、
カミソリのように切れ味の鋭い人であっても、
凡庸なナマクラになってしまいます。

当然、人生のステージが変わるどころか、
ズルズルと後退していってしまうわけです。

このブログを読んでいる成長意欲の高い方が、
そのような人生を望むはずがありません。

そう考えると、人生において何もトラブルが起こらない
ぬるま湯の環境は、長期的に人をダメにしてしまう
ことがお分かりでしょう。

逆に言えば、あなたの人生に絶望が訪れるとしたら、
それだけ成長意欲が高いことの裏返しでもあるのです。

なぜなら、人は絶望に身を置くと、
何とかして苦境から抜け出そうと必死になるからです。

その必死さこそが、
絶望から抜け出すための唯一の推進力です。

人は必死になると、顔つきが変わります。

顔つきが変わるだけでなく、
言動の全てが変わります。

言動が変わると、生き方が変わります。

その人の変化は周囲で見ている人にも伝わり、
巡り巡って運が開くのです。

その人が絶望を潜り抜けたかどうかは、
顔つきを見ればわかります。

苦境に陥っていたときの辛気臭い表情から、
スカッと抜けるような青空を思わせる
爽やかな表情に変わるからです。

こうした変化は、見る人が見れば
「ああ人生のステージが変わったんだな」
と手に取るように理解できるものです。

成長とは変容すること

以上を読んで、成長するのが怖くなった人も
いるのではないでしょうか。

「自分はそんな辛い思いをせずに、
もっと楽に成長したい」

そう考える人がいたとしても、
不思議ではありません。

でも、残念ながら人生というのは
そういうふうにはできていないのです。

なぜなら、成長とは変容することだからです。

現状の古い自分のまま、
新しいステージに移ることはできません。

自分の殻を脱ぎ捨てて新しい自分に生まれ変わった結果として、
次の人生のステージに進むことができるのです。

「変容するだけなら、
わざわざ辛い思いをしなくてもいいのではないか」

残念ながら、人は本能的に変化を恐れるようにできています。

ぬるま湯の平和な世界にいて、わざわざ未知なる変化に
飛び込もうとする人はいません。

むしろ、変化に飛び込むためのモチベーションが湧いてこない、
という表現の方が正しいのかもしれません。

運命がお尻を叩いてくれるからこそ、
人は成長のために挑戦することができるのです。

誰より厳しくしてくれるのが人生の恩人

そう考えると、あなたの人生にとって一番の恩人が誰か、
見えてくるのではないでしょうか。

「いつも自分のことを気にかけてくれて、
優しい言葉をかけてくれた人?」

表面的に見たら、そうした人が人生における
「天使」のような存在に思えますよね。

でも、あなたが失敗しても「よしよし」してくれる
人たちばかりだったら、あなたはどこまでも甘えて
いってしまうのではないでしょうか。

結果、使い物にならないダメ人間になってしまう
危険性すらあるのです。

もしも、現状のあなたがそうなっていないとしたら、
人生の折々で「きつい言葉をかけてきて、厳しく接してくれる人」
がいてくれたからではないでしょうか。

その人のことを、かつてのあなたは人情味のない
「悪魔」のような存在だと感じていたかもしれません。

でも、あなたが失敗した時に苦言を呈してくれたからこそ、
甘さを捨てて自分を律しながら生きてこられたのではないでしょうか。

人生はあべこべの世界になっているのです。

一見「天使」に見える優しい人が、
あなたの人生を堕落へと導く「悪魔」で、
一見「悪魔」に見える厳しい人が、
あなたの人生に喝を入れる「天使」の存在なのです。

もちろん、あなたが成長を望む場合に限る、
という但し書き付きではありますが。

このことに気づけたら、あなたはワンランク上の
愛を知ったことになります。

優しくしたり、慰めたりするだけが愛情ではありません。

時には、叱責したり、突き放したりするのも愛情なのです。

厳しく接すれば、目の前の相手に反駁されたり、
罵られたりするかもしれません。

それでもあなたは相手の成長を願い、
心を鬼にして厳しくできるでしょうか。

中々にしんどいことだと思います。

でも、そんな嫌われ役をあなたのために買ってくれた人が、
あなたの人生の中にいたと気づけたら、
あなたにとっての恩人の定義が変わるはずです。

挫折と試練は神様からのギフト

成長を望む人にとって、挫折と試練は
避けて通ることはできません。

それはあなたの魂を鍛えるためのレッスン料とも言えるし、
次のステージへと移行するための通行料だとも言い換えることができます。

もしも、楽に生きたければ、はなから成長を望まなければいいのです。

しかし、私たちは拡大膨張を続ける宇宙の中に生きており、
生々発展を続けるのが自然の摂理です。

成長を望まない生き方は自然の摂理に反しており、
長期的に見れば運や幸せを遠ざけてしまう生き方
であると言えます。

「乗り越えられない困難はやってこない」と言われますが、
本当にその通りで、自分の器以上の困難は
やってこないようにできています。

あなたの子供時代を思い出してみてください。

あの頃体験した挫折や試練は、
今のあなたなら楽々乗り越えられるのではないでしょうか。

それだけあなたの器が広がった証拠です。

同様に、現状訪れている挫折や試練は、
今のあなたの器を壊すために神様が与えてくれた
ギフトに他ならないのです。

今後は人生の困難に直面したときに、
「トラブル」だと顔をしかめるのではなく、
「ギフト」を受け取るように微笑んで
みてください。

グッと気分が楽になるはずです。

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