育つ人しか育たない

フィジカル

教育の幻想

我々教育者が、職業上どうしても抱いてしまう
幻想があります。

それは、「人は適切な教育を施すことで育つ」
というものです。

確かに、過去の偉人や成功者などを見ても、
適切な教育を施されていたり、
優れた師や仲間との出会いの中で磨かれていったり
したという共通点があります。

しかし、忘れてはなりません。

その陰で、同様の教育環境に接していても、
鳴かず飛ばずで終わってしまった
大多数の人々が存在していたことを。

私はこのことを教育現場の数々の経験から悟りました。

これは私の失敗談なのですが、
定期テストで文法ができていなかった生徒たちを
体育館に集めて、昼休みに再テストしたことがあります。

満点合格というルールで、合格するまで
何度もチャレンジすることになっていました。

2クラスから集められた総勢20〜30人近い
生徒たちでしたが、何度テストを実施しても
ひたすら同じ間違いを繰り返す生徒がいることに
気づきました。

最初は「やる気の問題」だと考えていたのですが、
さすがに5回目が終わってもクリアできないのを見て、
「これがこの子達の能力の限界だ」とハッキリ悟りました。

「君たちは十分に頑張ったから」などと、
適当な理由をつけて早々に再テストを
打ち切ったという苦い思い出があります。

以来、どんなにできない生徒がいても、
再テストで苦しめるような愚は
2度と犯していません。

もう一つは、部活指導から学びました。

同じメニューで、同じ練習をさせていても、
習熟の度合いには明らかな格差が生まれます。

そして、その格差は日を追うごとに拡大を続け、
決して埋まることはありません。

さらに、県大会・九州大会と上位の大会に駒を進めるごとに、
その格差はより明らかになります。

県大会で1位を取った生徒が、
九州大会では予選落ちをするの目にした時、
最初は軽いショックを覚えました。

才能の格差というのは、かくも残酷なものかと。

結局、どんなに鍛錬を積もうとも、
悪い運動神経は良くならないのです。

同様に、どんなに優れた教育環境で学ぼうとも、
悪い頭は良くならないのです。

日本には「蛙の子は蛙」という
ある意味無慈悲な諺が存在しますが、
これは紛れも無い真実です。

このことから目を背け続ける限り、
かつての私と同じように再テストを強制して
生徒を苦しめる教師がいなくならないのでは
ないでしょうか。

学級経営の前に知っておくべきこと

たとえば、あなたがある学年に飛び込み学担で
配属されるとします。

前年度の生徒たちの傾向や生徒指導状況等についての
引継を受けるときに、意外と見落とされやすいのが
学力検査の結果等の引継です。

もしも、引継内容にない場合は、
特にお願いして見せてもらうことをお勧めします。

なぜかというと、学力検査の結果と生徒指導上の
起こりうる問題とは、
大枠で相関関係にあると思うからです。

たとえば、生徒指導上の問題が起きたときに、
説諭を行うことで改善する生徒もいれば、
そもそも説諭した内容がまったく入らない生徒もいます。

説諭した内容が入らない理由として、
「教師に反発しているから」
「十分なラポートが取れていないから」
など、心理上の理由に紐づけて語られることが
多いようですが、私はもう一つ理由があると思っています。

それは「読解力の不足による理解能力の欠如」です。

私はこれまで1万人以上の生徒と接してきて、
国語の学力が壊滅的だった生徒で生徒指導における
説諭が効果的に機能した場面を
一度たりとも見たことがありません。

そもそも、彼らには説諭という方法論が
通用しないのです。

適切な指導方法選択の判断基準として、
私は生徒たちの学力の実態を把握しておくことは
鉄則であると感じています。

では、そもそも学力試験と頭の良さは
比例するのでしょうか。

これについては、概ねそう言えると答えておきます。

ガリ勉のために地頭が並でも
好成績を収めている生徒もいれば、
地頭が良くてもそこまで勉強に熱が入っていないため、
そこそこの成績に甘んじている生徒もいるからです。

しかし、中3になって受験目前になると、
成績に能力差がハッキリ現れます。

地頭がある生徒は、真剣に勉強を始めると
本人のレベルにあった学力に落ち着くものだからです。

逆に、地頭が低い生徒は、
どんなに塾で詰め込み式の勉強をしても、
学力が伸びることはほとんどありません。

親の育て方のせいにしてはならない

出来の悪い生徒を目にした時、
「親の育て方」のせいにしてしまう人がいます。

ここまで読んでこられた方ならお分かりの通り、
親の育て方が悪いのではありません。

たとえ、親がどんな育て方をしたとしても、
そう大きくは変わりません。

教育の幻想から目覚めるべきは、
我々教育を生業とする者たちです。

一律に、生徒に伸びることを強いるのではなく、
各自の伸び代に応じた指導を行うことが、
生徒たち、保護者、ひいては我々教師が幸せになっていく
道と言えるのではないでしょうか。

教師にできるのは、生徒たちを水のある場所まで
連れていくことまでです。

飲むかどうかを決めるのは、生徒自身に他なりません。

たとえ、功成り名遂げた教え子が雑誌のインタビューで、
「〇〇先生のおかげで、ここまでくることができました」
と語っているのを目にしたとしても、
その社交辞令を決して真に受けてはいけません。

その教え子が立派に育つことは、
生まれた瞬間から決まっていたことであり、
我々教師にできることはその成長を邪魔しないように
見守ってあげることだけだからです。

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