三国志から教養を学ぶ

メンタル

私と三国志

私は小学生の頃に初めて三国志を読んで、
そのあまりの面白さに衝撃を受けました。

それから、漫画三国志、ありとあらゆる
作家の描く三国志小説、
三国時代にまつわる注釈書など、
手に入る限りの三国志に関する書籍を
渉猟してきました。

のみならず、中国制作の三国志ドラマである
「Three kingdoms」は、何回リピートしたか
わからないくらい鑑賞しました。

さらに、東京出張に行った折には、
横浜まで足を伸ばして、
中華街の関帝廟にお参りに行くという
徹底ぶりです。

しかも、大学では漢文学を専攻し、
卒論は三国志をテーマに書かせてもらいました。

今回は、筋金入りの三国志フリークである私から、
三国志から学べる教養についてお伝えさせていただきます。

人は失敗ではなく成功で崩れる

私が三国志から学んだ第1の教訓は、
「慢心ほど恐ろしいものはない」ということです。

三国志は、英雄たちの知略や武勇といった
成功譚が散りばめられていると同時に、
英雄たちの失敗譚の宝庫であるとも言えます。

袁紹を官渡の戦いで破った後、
赤壁で呉に破れた曹操。

蜀漢の皇帝になってから驕り高ぶり、
諸葛亮らの諌めも聞かずに夷陵の戦いで
大敗した劉備。

曹操軍すら圧倒し、向かう所敵なしだったのに、
樊城攻めで敗北を喫した関羽。

彼らは決して、油断大敵という
言葉を知らなかったわけではありません。

それどころか、非凡な彼らは人並み以上に
慢心の恐ろしさを熟知していたはずです。

にもかかわらず、心の隙に忍び込んでくるのが
油断・慢心です。

彼らは非凡なるがゆえに、
凡人ではなしえない大きな成功を手に入れます。

その結果として、心に隙が生まれ通常であれば
避けていたはずの無謀な決断を下し、
致命的な大失敗をやらかしてしまうのです。

私は、英雄たちの成功譚よりも、
むしろ失敗譚を読む方が好きでした。

綺羅星の如く歴史に輝く英雄たちが、
グッと人間臭く感じられ、ますます彼らに
親近感を覚えたものです。

成功しているときこそ、自重してブレーキを
踏むべきであり、その勢いのまま突っ走ると
必ず失敗するということを数々のエピソードから
学ばせてもらいました。

そのおかげで、昔よりも随分と慎重になったと
感じています。

それでも、私も人間である以上、
ちょっと物事がうまくいきだすと油断が
生まれてくるのを感じています。

それもそのはず、あの英傑たちですら、
慢心の陥穽からは逃れなかったのですから。

知識は現場で使えなければ意味がない

諸葛亮が長年目をかけて、後継者にしたいと
考えていた逸材といえばこの人、
馬謖の名前があがります。

諸葛亮は馬謖のことを、夷陵の戦いで劉備を破った
陸遜にも匹敵する才の持ち主として絶賛していました。

第一次北伐の折、要所街亭の守りを命じられたのが
馬謖です。

馬謖は、手柄を立てるチャンスと意気込み、
諸葛亮の指示に背き山の上に陣を構えます。

これに対し、敵将張郃は水路を断ったため、
水を断たれた蜀軍は士気が下がり、
大敗を喫して馬謖は敗走します。

結果、蜀軍は大軍を退却させ、
第一次北伐は失敗に終わります。

諸葛亮は、軍令に違反した馬謖に対し処刑を命じ、
泣く泣く愛弟子の首を落とすのです。

これが世間に名高い「泣いて馬謖を斬る」
の故事です。

諸葛亮は、自らも人選ミスの責任を取り、
3階級の降格を願い出ています。

実は、この話には伏線があって、
生前劉備が諸葛亮に対して、
「馬謖は有能に見えるが口先だけの人物であり、
重用するな」と釘を刺していました。

馬謖に処刑を命じた時、諸葛亮の脳裏には
亡き主君の言葉がリフレインのごとく
鳴り響いていたことでしょう。

この故事から私たちが学ぶべきは、
書物などから学んだ知識は実地で試してこそ
血肉となるという事実です。

読書で知識を学ぶ→仮説を立てる→実地で検証。

この絶え間ないサイクルの中でこそ知恵が育ちます。

馬謖は確かにとてつもなく頭が良かったのかも
しれません。

しかし、実地で磨かれていない知識だけでは、
百戦錬磨の猛者たちには通用しなかったということです。

私たちは書物を読んで知識をインプットして、
賢くなった気にはなっていないでしょうか。

でも、それではただの頭でっかちにすぎません。

本で読んだ知識は、実地で試して、
生きた知恵に還元してこそリターンが
取れたと言えるのです。

歴史は自分の「未来の失敗」を見せてくれる

三国志を読む本当の価値は、
彼らが実際に血を流して我々に見せてくれている
失敗のサンプルから学び、実人生に活かすことです。

とはいえ、一度も失敗のない人生なんてありえないし、
失敗があるからこそ人は強くなるし、
魅力的になるのだと思います。

感情的に突っ走って、夷陵の大敗を招いた劉備。

自分の力を恃んで孫権を怒らせ、荊州を失った関羽。

彼らが犯した致命的な失敗は、
彼らが英雄である前に1人の人間であった証左です。

とはいえ、しなくていい失敗は避けるのが
賢い生き方ではないでしょうか。

私たちが歴史を学ぶ意義は、
そこにこそあるのだと言えます。

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