運動会で学んだ、課題の分離の本質

メンタル

W優勝を目標に掲げる子供達

先日、運動会が行われ、
私は団顧問として赤団を率いました。

応援リーダーになった生徒たちに抱負を語らせると、
皆一様に「競技の部と応援の部でW優勝を勝ち取りたい」
と述べました。

これを聞いて、私は少し違和感を覚えました。

「いったいどこが不満なんだ」
「至極まっとうな目標設定じゃないか」
と、多分多くの方は思われることでしょう。

しかし、考えてみてほしいのです。

応援の部の優勝であれば、
運動能力が低い生徒たちでも
工夫次第でつかみ取れる可能性が残されています。

つまり、応援優勝に至る道筋は、
自分たちでコントロールが可能ということです。

でも、競技の部の優勝については、
メンバーの運動能力が低い場合、
どうあがいても勝ち目がありません。

しかも、そのメンバーはあらかじめ学校によって
振り分けられたものであり、
自分たちでは操作しようのないものなのです。

ということは、競技優勝は運の所産に過ぎない。

その現実から目を背け、軽々しく「W優勝したい」と
口にするのは少々甘いのではないかと感じたのです。

目標設定するからには、
「絵に描いた餅」ではなく
「地に足をつけた堅実なもの」を
目指してほしいと思ったのです。

だから、私は応援リーダーを集めて
こう言いました。

「私たちが応援を頑張ることによってつかみ取れるのは、
応援の部と競技の部のどっちですか。」

「応援の部です。」

「その通りです。
競技の部の応援は赤団全員の力にかかっています。
私たちが自力で狙えるのは応援優勝だけです。
だからこそ、応援の部の優勝にこだわろう。」

そこから、子供たちの応援の練習に身が入ったのは
言うまでもありません。

戦略的な応援スタイルの構築

応援優勝を目指すことになり、
私が心がけたのが効果的な応援のありかたでした。

応援賞の審査にあたる来賓の方々が陣取ることに
なるであろう本部テントの位置を確認して、
いかに応援が目立つか、映えるかを研究しました。

ある日の練習では、生徒たちにこう伝えました。

「大きな声を出すことも大事。
でも、残念ながら本部テントまでその声は届かない。
本部テントにアピールしようと思ったら、
動きの大きさとキレだ。
疲れてきても、そこだけを意識すること。」

戦略とは、「戦いを略す」と書きますが、
いかにして無駄な努力を排して
成果を掴むかを考えるのも

リーダーの役目だと思います。

ただ、相手の白団もさるもので、
こちらがやっていることを観察していて、
これはいいと思ったら取り入れてきます。

互いに切磋琢磨しながら、
本番までの練習に取り組んでいました。

予行練習も終わって、本番まで1週間をきった
ある日の練習の終わりのことです。

ふと思いついて、優勝したあとの万歳練習を行いました。

「これから先生が、優勝赤団と言ったら、
みんなで万歳を叫んでください。」

「競技の部、優勝赤団」

万歳!!

「応援の部、優勝赤団」

万歳!!

「実現させるぞー」

オーッ!!

子供たちが、「W優勝」にこだわっているので、
だったら予祝をしようじゃないかと思ったのです。

予祝とは、願いや目標がすでに叶ったかのように
先に祝うことで、その実現を引き寄せるとされる
日本古来の習慣・考え方のことです。

元々は豊作などを前祝いする農耕儀礼に由来し、
現在ではこの慣習を目標達成などに活用する人も
増えてきていると言います。

私も、ここぞという場面では何度も活用していて、
効果があると感じている方法論です。

無欲で恬淡な姿勢が引き寄せたW優勝

とはいえ、私はそこまで勝利へのこだわりは
ありませんでした。

常日頃から、「人事を尽くして天命を待つ」
いう考え方が板についており、やるだけやったら、
あとは神様にお任せという姿勢で生きているのです。

これは、部活の大会などでもそうで、
練習は勝ちにこだわってガンガン追い込むのですが、
本番は完全にコントロールを手放して、
拍子抜けするほどあっけらかんとしています。

いわば、究極の前倒し主義といえます。

だから、運動会本番も声を張り上げることなく、
落ち着いてクールに戦況を見守っていました。

ところが、どうしたことでしょうか。

運が味方して、赤団が優勝旗を次々と
ゲットしていくのです。

まさに、人事を尽くした結果、
天命が動いたとしか思えません。

まったく優勝など気にしていなかったのに、
あっさりとW優勝してしまいました。

自分では何もしたつもりがないのに、
あっけなく優勝してしまったので、
まるっきり実感がありませんでした。

これが逆に、子供たちと一緒に
「W優勝するぞ」と息巻いていたら
どうでしょうか。

勝てなかったかもしれないし、仮に勝てたとしても、
ヘロヘロになって努力感マックスで
大会を終えていたかもしれません。

いずれにしても、人間が努力すべきは準備の段階であり、
本番は軽く流すくらいが、
もっとも運を味方にできるのではないか、
と感じています。

この体験から、私は改めて思いました。

人間が本当に努力すべきなのは、
結果そのものではありません。

結果に至るまでの準備であり、姿勢であり、
自分たちがコントロールできる行動です。

勝利を願うことは悪くありません。

しかし、勝利に執着すると、
人は簡単に視野が狭くなり、
物事の本質が見えなくなります。

大事なのは、
「勝ちたい」と叫ぶことではなく、
「勝つにふさわしい準備」を淡々と積み重ねることです。

そして、やるだけやったら、あとは手放す。

その無欲で恬淡とした姿勢こそが、
かえって運を呼び込むのかもしれません。

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