素潜りにハマった日々

フィジカル

スキューバダイビングとの別れ

前回の記事で書いたように、
私はスキューバダイビングを通じて
海の世界の魅力に取りつかれてしまいました。

ただ、スキューバダイビングには
難点がいくつかありました。

1点目は、費用がそれなりにかかることです。

素人では、その日の海況からどこで潜るのが
安全かを適切に判断することが難しいことから、
どうしてもダイビングショップを通すことになります。

また、エアーが入ったタンクをレンタルするのも、
ショップを通して行う方が、
面倒が少ないという理由もあります。

2点目は、ショップを通して潜りにいく場合、
ある程度の時間が拘束されてしまうことです。

朝ショップに集合して、それから郊外や県外などに
移動して潜る場合、1日がかりの一大イベントになってしまい、
その日は他の予定が入れられなくなってしまうのです。

こうした理由から、次第にダイビングショップから
足が遠のいてしまいました。

しかし、それでも海から離れようとは思
いませんでした。

スキューバダイビングの代わりに、
スキンダイビング(素潜り)を始めようと
思い立ったのです。

素潜りであれば、ショップにお金を払う必要もないし、
時間を拘束されることもありません。

これは我ながらいい考えだと、
悦に浸っていました。

毎日のように海に通う

それから私は、夏休みはほぼ毎日のように
海に通っていました。

サーファーの方々が朝早く起きて、
波に乗ってから仕事に行くというような話を聞いて、
他人事のように「よくやるものだ」
呆れていたのですが、
まさか自分が同様の人種になろうとは
思いもしませんでした。

午前中で部活指導を終えるとすぐに昼飯をかきこみ、
メッシュバッグをからって車に乗り込み、
目的地に向けて海岸線をひた走ったものです。

本当に、なんであの時の私はあれほどに海に通っていたのか、
今となっては謎でしかありません。

しかし、とにかく楽しかったのです。

夕暮れ時、暮れなずむ水平線を見やりながら
波間に揺られたり、折からのスコールで
海面に打ち付ける雨音に耳を傾けたり、
刻々に姿を変える海を目に焼き付けることができたのは、
若き日の大切な思い出です。

私は本気で、沖縄のいわゆる「海人(うみんちゅ)」
を目指していたのです。

その頃の私の生活は、夏は完全アウトドアで海に通い、
冬は完全インドアで家にこもて本を読むという
いい意味でバランスが取れているというか、
振れ幅の大きな人生を送っていました。

だいたい30代の半ばまでは、
こうした自由気ままな生活を送っていました。

海の中で力が抜ける

私が海にハマった理由の1つとして、
海に入ることで体の無駄な力が抜けることが
挙げられます。

海の中で浮くことで、体感重量は陸上の10分の1
以下になると言われています。

すなわち、海の中に入ることで、
私たちが普段骨格・筋肉で支えている重みから
一気に解放されるのです。

日本語に「骨休み」という言葉がありますが、
海の中で味わっているこの感覚こそ、
文字通りの「骨休み」に違いありません。

全身の骨格・筋肉が身体を支える仕事から
一時的に解放されるのです。

これがどれほどの爽快感であるか、
体験した人にしか理解できないのではないでしょうか。

日常のストレスから解放される気持ちよさを
味わうために海に行っていた、
と言っても過言ではありません。

とはいえ、海の中で力が抜けるためには、
それなりの熟練が必要です。

ダイビングの初心者は、海の中で緊張が先に立ってしまい、
力を抜く妙味を味わうところまではなかなか
いけないものです。

私が海の中における脱力を
テーマに掲げるようになったのは、
1冊の本との出会いがきっかけでした。

その本は、世界的なフリーダイバーである
ウンベルト・ペリッツァーリの著書
「アプネア 海に融けるとき」です。

その本の中に、こんなくだりが出てきます。

若き日のペリッツァーリが
モルジブの小さな島で夜釣りをしていると、
地元で漁師でをしている老人が近づいてきて
ココナッツミルクを海に溶かして、
こう言います。

「いいかね。海に潜るときに
心や体を海と対決させてはダメだ。
このココナッツミルクのように
海と一体になるのさ。」

まさに、この本のタイトルにもなっている
エピソードです。

「自然と一体になる」というのは、
どこか東洋的・日本的な香りのする考え方ですが、
それをイタリア人のフリーダイバーが座右の銘として、
世界的な記録を樹立していったのです。

ダイビングだけでなくこれは人生の極意に他ならない、
と深く心に刻んだのを覚えています。

私自身は、「海に融ける」境地など
夢のまた夢の凡庸なダイバーのままでしたが、
「海と闘う」という姿勢を少しでも放棄することができたのは、
この教えによるところが大きいと感謝しています。

また、日本の神道では海の中で禊(みそぎ)を行います。

神道でいうところの、積み汚れが祓われた状態というのは、
無駄な力が抜けていく感覚とリンクしているのではないか、
とひそかに仮説を立てて、
今でも年に何回かは素潜りを継続しているところです。

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