胆力の大事
「教師という職業で大事なものは?」と尋ねられると、
「愛情」とか「教養」「使命感」などと答える人が多いことでしょう。
もっとも、これらはたいして現場経験がない人でも
何となく推測で導き出せる答えです。
しかし、ある程度困難な現場で経験を積んでくると、
「胆力」の大事さに思い至ります。
教師にとって胆力は本当に大事です。
胆力とは、言い換えれば不測に対して
動じない力のことです。
では、なぜこれほどに
胆力が大事なのでしょうか。
胆力がないと、冷静な判断を下したり、
落ち着いた対応を取ったりすることが
できなくなってしまうからです。
当たり前ですが武術の世界においても、
胆力は重要視されています。
剣道の世界には、「一眼、二足、三胆、四力」
という言葉が伝わっています。
まず大事なものは眼力、そして足捌き、
その次に胆力というわけです。
この胆力は、生まれつきや遺伝によるものも大きいですが、
鍛錬によっても強くすることが可能です。
江戸時代、侍たちは不意に鳴らされる
大筒の轟音を前に心を落ち着け、
胆力を練っていたと言います。
さらに深夜に墓場に行ったり、
参禅修行をしたりして、
胆力を練っていました。
現代では、そのようにして
わざわざ胆力を鍛えようとする人は稀少です。
まして、過保護な親が増えてきているので、
現代人は総じて胆力に欠ける人が増えてきています。
胆力を鍛えるには、あえて自分が怖いと
思っていることにチャレンジしてみることです。
私はかつて足の届かない深い海を泳ぐことに
恐怖を感じていましたが、
海の美しさや素晴らしさに魅せられて、
素潜りにチャレンジしました。
死の恐怖と向き合いながら、
何百回と海に潜る中で徐々に恐怖を手懐け、
やがて水の中でくつろぐことができるようになりました。
また、高所恐怖症を理由に避けてきた
遊園地の絶叫マシーンにあえてチャレンジし、
爽快感を味わえるようになりました。
「胆力ってそんなことで鍛えられるの?」と
思われるかもしれませんが、胆力を鍛える材料は
日常のあちこちに転がっているのです。
何か特別な修行をしないと胆力が鍛えられないとしたら、
今頃とっくに人類は滅びているはずです。
壮絶な体験がハラを鍛える
私の祖父は太平洋戦争に従軍したことのある
戦争経験者でした。
薬剤師だった祖父は、衛生兵として硫黄島の
激戦を経験したそうです。
目の前で同僚が撃たれて亡くなるという
壮絶な体験をした祖父ですが、
私たち孫の前ではいつも好々爺の顔を
見せていたものです。
戦争中には鬱などの精神疾患者が
激減すると言われています。
今日を生き延びるのに必死で、
悩んでいる暇がないからかもしれません。
あるいは、生きるか死ぬかの状況に置かれることで、
生命力が活性化するからなのかもしれません。
いずれにしても、過酷な状況を生き延びる中で
ハラが鍛えられることは間違いないようです。
荒れた学校というのは、
戦場にいる兵士と同じくらいのストレスがかかる、
と聞いたことがあります。
もちろん、学校現場で人が死ぬことは基本的にないので、
戦場云々は言い過ぎかもしれませんが、
それに近いものはあるかもしれません。
であれば、過酷な学校現場に勤務する職員は、
ハラが据わらなければとても務まらないと
いうことかもしれません。
なぜ男は胆力を鍛えないといけないのか
とある本で読んだのですが、
女性は男と違って生来丹田が備わっている
のだそうです。
女性には男と違って子宮という
器官が備わっています。
生理や妊娠出産等を経験していく中で、
女性は自ずと丹田が磨かれていくのです。
「母は強し」という言葉は、
母となり子宮の意識が育ち
丹田が備わった女性のことを
指しているのだと思います。
女性は子供を産み育て、
生命を未来に繋いでいくという大切な役割が
与えられています。
いわば、女性が男と比べて生命力が強いのは
自然の摂理に基づいているのです。
学校で女子生徒を見ていると、
リーダー格の生徒ほど下丹田が備わっているのが
見て取れます。
こうした生徒は、
おそらく生来の資質として下丹田が
備わっているのでしょう。
これに対し、男子は何もしない限り
永遠に丹田は身につきません。
子宮の意識を育てながら、
丹田を身につける女性に比べて、
男子は不利な立場に立たされているのです。
そう考えると、
なぜ男が武術や様々な修行法を考案したか、
理解できるはずです。
男たちは何かしらの方法で丹田を鍛えない限り、
女性と伍して生きていくことは難しいのです。
現代の男性優位社会は、男たちが無意識下で感じている
劣等感を補うために、制度上で男女の優劣をつけたと
考えると理解できるのではないでしょうか。
真の男女平等社会の到来のためには、
男性たちが意識的に丹田を身につけていく
必要があると考えています。
そのためには、先述したように恐怖と向き合う体験や、
目標を立てて挑戦し続けることで自分を磨くしかありません。
スマホやゲームにうつつを抜かしている現代の男たちは、
生来胆力を備えている女性たちに永遠に勝てないと断言します。
武術の効用
人生の一時期において、武術を学んでおくことは
決して無駄なことではありません。
暴力性の中に身を置き、実際に打ち合ったり、
投げられたりする中で、自ずと胆力が鍛えられていきます。
気力、体力、運動能力の増進、自律心の育成など、
その効用は多岐にわたります。
武術である以上、格闘能力を求めるのは
自然なことではあります。
しかし、私自身もそうでしたが、
歳を重ねるごとにそうした相対的な強さには
興味が向かなくなっていくものです。
それに、「もし襲われたら〜」とか「もし喧嘩するときは〜」
といったマインドで日常を過ごしていると、
そうしたトラブルを自ら引き寄せてしまうものです。
不安は不安を呼び、恐怖はさらなる恐怖を
招き寄せる結果となるのです。
まさに、「類は友を呼ぶ」という言葉の通りの
出来事が起きてしまうのです。
常識的な社会人として生活していくつもりなのであれば、
武術を修行する目的は「誰かに勝つこと」ではなく
「自分に勝つこと」「自分を磨くこと」に置くのが
無難だと思います。
武術で磨いた力を世の中に生かし、
それがさらに自分に返ってくるという好循環を起こすためにこそ、
現代の武術修行の意義はあるのではないでしょうか。
別に武術でなくても構わないと思います。
あなたなりの方法で、胆力を磨くことが
人生の質を上げてくれるはずです。
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