現実から目を逸らして飲み会に逃げる人

フィジカル

毎月飲み会をする学年

とある大変な学年を持っていた時の話です。

その学年は4月当初から大変な状況で、
授業中の離席、授業ボイコット、暴言などが横行し、
学級経営もままならない状態でした。

その学年のうったち会での一幕です。

ある女性教員が、こう口火を切りました。

「学校が大変なので、せめて月一でこうして集まって
愚痴りましょう」
と。

その場のノリで、皆賛同していたのですが、
私は内心で違和感が募るのを禁じ得ませんでした。

なぜなら、この学年を大変にした張本人の1人が、
その女性教員だったからです。

彼女は、前年まで学担を担当していたのですが、
4月からは副担になって学年には所属していました。

学年が大変になったのは、彼女1人に責任があるわけではありませんが、
私からすれば「どうしてあなたにそんな発言権があるの?」
という違和感が拭どうしてもえなかったのです。

それに、合理主義者の私としては、
「飲み会をしたから学年・学級が良くなるわけではないのだから、
アホらしい」
という冷めた気持ちが正直先に立っていました。

それに、4月にノリで決まったことでも、
いずれ忙しさにかまけて徐々に沈静化していくだろうと
高をくくっていたところもありました。

ところが、です。

例の彼女は、変なやる気を発揮して、
毎月のように美味しい店を検索しては、
学年LINEに載っけて率先して飲み会の出欠をとって
いるのです。

「そのイニシアチブを、前年度までの学級経営に発揮してくれよ」
と私が内心独りごちたのは言うまでもありません。

私はそれとなく、学年のメンバーの表情を観察していました。

すると、ほとんどのメンバーが嬉々として飲み会に出かけていくのです。

内訳としては8割が若者と独身女子で、残り2割が家庭持ちの中年組です。

嬉々として出かけるのは、当然ながら8割の若者と独身女子で
構成されるメンバーです。

自由に使えるお財布を持っている彼らには、
怖いものなどありません。

しかし、家庭持ちの中年組としては、
毎月の飲み会に出費は決して小さくはありません。

一次会の会費に5000円かかったとしても、
帰りのタクシー代諸々を含めると一晩で軽く1万円が飛びます。

お気楽な若者・独身組はさておいて、
中年組はどう思っているのだろうかと、
表情を探ってみましたが、みんな口では「次の飲み会楽しみ〜」
と調子のいいことを言って内心を悟らせません。

それでいて、たまに飲み会の日に体調を崩してキャンセルしたりするのです。

こういうのを、同調圧力と言わずして、なんと言えばいいのでしょうか。

その時、学年全体にカルト宗教にも似た精神支配の構造が構築されていた、
と感じています。

今思い返しても、あのとき異常だったのは、生徒ではなく
私たち教員の側だったのかもしれません。

職場の飲み会は仕事の延長

私は職場の飲み会は、残業の一部だと本気で考えています。

いくら口では「無礼講だ」などと言っても、
上司は部下の言動に目を光らせているし、
飲みの席での失言はその後の仕事にも影響を及ぼします。

つまり、通常の仕事は働くことによって対価を得ますが、
職場の飲み会は働くことに対してこちらが対価を支払わなければならない
という仕組みになっているのです。

だからこそ、私は毎月嬉々として職場の飲み会に顔を出していた人たちに、
違和感、否、不信感を抱くのです。

だってそうでしょう。

ビジネスライクな付き合いの人たちと、
毎月のようにお金を払って宴席を囲み、
どうでもいい話題に相槌を打つ3時間を過ごすことに、
何の疑問も抱かないのですから。

とはいえ、私も自分が学年主任の時は、
数ヶ月に1度程度飲み会を開いていました。

そうやって、職場の同僚と労をねぎらい合い、
懇親の場を持つことはもちろんやぶさかではありません。

しかし、毎月の飲み会というのは、あまりに度を越しており、
非常識だと感じるのは私だけでしょうか。

飲み会に参加することが悪いとは思いません。

問題なのは、そのことになんら疑問も抱けない知性のなさと、
疑問を抱いたとしても唯々諾々として従ってしまう、
その主体性のなさです。

私は一度、「受験前で生徒も追い込みの時期なので、
今月は飲み会を控えませんか」と勇気を出して発言したことがあります。

ところが、誰もその意見には取り合わず、みごとにスルーされました。

そのとき、私の中で完全に何かが断ち切られたのを覚えています。

ところで、肝心の学年の状況はどうなったのでしょうか。

毎月飲み会を重ねたことで、学年が落ち着いたのか。

教師同士の結束が強まり、生徒指導が改善されたのか。

残念ながら、そうした成果は見られませんでした。

結局、現状を打開するために必要だったのは、
飲み会で愚痴を言い合うことではありません。

生徒と真正面から向き合い、目の前の問題から逃げず、
一つ一つ解決していくことだったのです。

私自身、そのために行動し、現状を打開してきました。

大変な生徒から逃げずに、堂々と渡り合いました。

では、飲み会を斡旋していた人は何をしていたのか。

安全な職員室に引きこもって、何もしませんでした。

その経験から、私は一つの確信を得ました。

現実を変えるのは、現実について語り合うことではない。
現実に働きかける行動なのだ、と。

飲み会はコスパが悪いコミュニケーション手段

飲みニケーションなどという言葉もありますが、
飲み会によっていったいどれほどのコミュニケーション効果が
図れるでしょうか。

飲み会の大半は、愚痴や悪口など、
どうでもいい話題に費やされます。

つまらない話を聞かされ、あくびを噛み殺しながら
我慢する時間が飲み会の大半を占めているのです。

もちろん、飲み会で初対面の人間同士が打ち解けたり、
親しくなったりする効果も期待できますが、
いつも顔を合わせている同僚と飲んでいて、
さらに仲良くなる効果などほぼゼロでしょう。

そう考えると、飲み会は失う時間ばかりが大きく、
懇親という本来の目的に対して得られる効果は
甚だ小さいと言えるのではないでしょうか。

だからこそ、私は言いたいのです。

その飲み会、本当に1万円を投じる価値がありますか、と。

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