部活指導をしていて気づくこと
真剣に部活指導をしていると、
ある残酷な真実に直面します。
それは、「運動は才能で決まる」と
いうことです。
別の言い方をすると、「血筋で決まる」
「遺伝子で決まる」ということです。
考えみてください。
世の中で活躍しているアスリートの血縁関係を調べてみると、
親や祖父母、親類がおしなべて運動能力、体格に
恵まれていることに気づかされるはずです。
同級生でも、学年の中で飛び抜けて体格や運動能力が優れた人は、
親も運動選手だったということが多かったのではないでしょうか。
私がこの残酷な真実に直面したのが、
初めて九州大会に生徒を引率したときのことです。
リレー種目において、県大会で無双したのを見て、
九州大会での好成績にひそかな期待をかけていました。
しかし、大会前に購入したプログラムのランキングには、
自チームが最下位と書かれてあり、軽いショックを受けたのを
覚えています。
このとき私は悟りました、「かくも才能とは残酷なものか」と。
それからです、私の部活指導のあり方が変わったのは。
一人一人の適性やポテンシャルを見極め、
「個別最適な指導」を施す方針に変わりました。
できないからといって責めない。
負けてもくささない。
なぜなら、できない子に結果を求めるのは
酷だとわかったからです。
私が叱責するのは、できるのに怠けているのを
見とった時だけ。
おかげで、肩の力が抜けて気持ちも楽になりました。
そう考えると、五輪でメダルを獲るような選手は、
天からどんな才能を与えられているのでしょうか。
想像を絶する天才であることは間違いありません。
天才がひしめくMLBで、「世界一」と評される
大谷翔平選手の持っている才能は
いったいどうなっているのでしょうか。
部活指導で「才能の真実」を知った今、
トップオブトップアスリートの才能の偉大さが、
より実感を伴って理解できるようになってきました。
勉強も才能
言うまでもなく勉強も才能です。
「そんなことはない。運動と違って、
勉強は本人の努力次第でいくらでも伸びる」
そう反論される方は、失礼ながらおそらく
「本気で勉強をしてこなかった方」なのではないかと
推察します。
大学入試レベルの勉強にある程度本気で取り組んだことがあれば、
自分の限界点と向き合わざるを得ないものです。
そのことを肌で知っている人であれば、
前述の「勉強は努力次第」などというのは幻想でしかないと
理解できるはずです。
勉強だって、当然ながら向き不向きがあり、
スッと勉強すればわかる人もいれば、
まったく頭に知識が入ってこない人も存在するのです。
よく、「自分は勉強してないだけ、勉強すればできる」
などと言う人がいますが、それは野球少年が
「自分も本気で練習すれば、プロ選手になれる」と豪語するのと、
何も変わりません。
自分の心に嘘をつくよりも、勇気をもって事実を直視した方が
長期的には幸せな人生を送ることができると思います。
勉強ができないなら、その事実に直面し、
勉強ができないなりの勝ち方を工夫すればいいのです。
中国の兵法家孫子も、『勝てない戦いはするな』
『必ず勝てるところで戦え』という内容の言葉を述べていました。
学校現場においても、勉強ができるのは、
自分に向いた勉強法を発掘するのが得意な子です。
彼らは、「自分が勝てる勉強法」を見出し、
「勝てない勉強法」を戦略的に損切りしており、
まさに孫子の教えに則って勉強を続けているのです。
今の時代、講義形式の授業や、テキストに頼らなくても、
動画視聴、音声学習など学びの手段は選び放題です。
とはいえ、どう試行錯誤しても、勉強が水に合わないなら、
思い切って勉強を捨てるのも立派な選択だと思います。
合わない勉強に時間を費やすのは、
時間をドブに捨てるようなものであり、
人生の無駄遣いになるようなことだけは避けるべきです。
人間性も才能
「人間性も才能である」といったら、あなたはどう思うでしょうか。
「そんなバカな、才能と人間性は別だよ」と
口角泡を飛ばす人もいらっしゃることでしょう。
しかし、人生経験を深く積んでこられた方なら、
深く、そして、重々しくこう言うはずです。
「確かに、人間性も才能だと思う」と。
考えてもみてください。
中高年になっても、軽薄浅薄なものの見方しかできない人。
中学生にして、周囲を気遣い落ち着いた対応ができる人。
人間性の成熟において、人生経験だけでは埋められない差の存在を、
否が応でも感じさせられるのではないでしょうか。
もちろん、人間性には、人生経験を通じて磨かれていく
割合が大きいことも事実です。
しかし、それだけでは、若くして成熟した、
老成したものの見方ができる若者の存在が説明できないのです。
性格や気質に生得的な部分があるのと同じく、
人間性にも生得による部分が大きいのではないかと考えています。
仕事も才能
さて、ここまでお読みになった方であれば、
仕事も才能であるという主張がスッと腹に落ちるのでは
ないでしょうか。
当然ながら、仕事にも向き不向きが存在します。
昔は、「石の上にも三年」と言って、
じっくり時間をかけて成長することの大切さが説かれていましたが、
自分の適性を知るのに3年も費やす必要はありません。
やるだけやってみて、この仕事は努力が報われそうにないと感じたら、
そうそうに切り捨てるのも立派な見識です。
孫子の兵法に照らして、この土俵では勝てないと見極めたら、
さっさと尻尾を巻いて退散し、別の土俵で捲土重来を期せば良いのです。
私たちは、「才能の格差」から目を背けたり、
戦ったりしても決して幸せにはなれません。
逆に、「才能の格差」を直視し、自分が「勝てる要素」に
全振りして世の中に貢献しようと働く生き方。
そこにこそ、自分らしく幸せに生きる道があるのではないでしょうか。
とはいえ、ろくに努力も試行錯誤もせず、
毎日定時に帰りながら『僕に向いている仕事はどれだろう』と
夢想するような甘ちゃんは、ここでの想定には入っていませんので悪しからず。
人生の時間は有限です。
苦手を人並みにするために10年を費やすのか。
得意を、誰にも真似できないところまで磨くために
10年を費やすのか。
私なら、迷わず後者を選びます。

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