因果応報

メンタル

ブーメランの法則

この世の全てはブーメランの法則で動いています。

この原理に例外はありません。

たとえば、コンビニで物を買う時に、
横柄な態度で店員さんに接したとします。

店員さんは黙ってお金を受け取って、
その時は何もなかったとしましょう。

しかし、時と場所を変えて、
今度は別の誰かがあなたに対して
横柄な態度で接してくるのです。

逆のパターンもあります。

たとえば、トイレに行ったときに
スリッパが散乱していたとします。

あなたはどこかの誰かが散らかした
それらのスリッパを黙って並べ直しました。

ちなみに、そのときあなたの様子を見ていた人は
誰もいなかったとします。

すると、時と場所を変えて、
あなたに対して丁寧な態度で接してくる人や
場面が訪れたりするのです。

こうしたことは、ある程度の人生経験を積んでくると、
ほとんどの人が実感を伴って理解できるはずです。

ブーメランの法則は、これ以外にもありとあらゆることに
適用されます。

お金をぞんざいに扱う人からは、
お金が飛ぶように消えていきます。

異性をぞんざいに扱う人は、
同じように異性からぞんざいに扱われます。

仕事を舐めている人は、仕事もうまくいかず、
失職の憂き目を見るかもしれません。

お金を大事に扱う人の元へは、
あたかもお金が意志を持つかのように集まってきます。

異性に大事に扱う人は、
同じように異性から大事に扱われます。

仕事に敬意を払う人は、
仕事の成果がついてきます。

大事なのは、ブーメランの法則に翻弄されることではなく、
意図的に活用することです。

自分が望む理想を具体的に思い描き、
それを先に周りに対して与えてしまうことです。

それがやがては、
時と場所を変えてあなたの元に帰ってくるからです。

情けは人の為ならず

「情けは人の為ならず」という言葉の意味について、
多くの人が誤解したまま理解しています。

すなわち、「人に温情をかけすぎると、甘えてしまうのでよくない」
という意味でとらえている人がほとんどです。

しかし、この言葉の本当の意味は、これとはまったくの正反対です。

「人に対してかける優しさは、相手のためだけでなく自分のためでもあるのだ。
なぜなら、人に対してかけた優しさは、巡り巡って返ってくるのだから」
というのが、この言葉の持つ本当の意味です。

おそらく、昔の日本人はこの言葉を拠り所として、
我が身の処し方を考えていたに違いありません。

向こう三軒両隣という言葉があるように、
昔は自分の家のことだけでなく周りの家族のことも
気にかけながら生活していました。

そのようにして、互いにかける優しさや気遣いが、
時と場所を変えて自分に返ってくることを知っているからこそ、
こうした生活スタイルが一般化していったのでしょう。

核家族化の進んだ現代では、向こう三軒両隣という言葉は、
ほとんど死語となってしまった感があります。

そうやって自分のことだけしか考えなくなったことが、
かえって周囲からの協力を得られにくくしてしまっているのは、
皮肉としか言いようがありません。

起こったことは自分の責任

このように考えていくと、
起こるすべての物事は自分の責任であるということが
理解されるはずです。

このように聞くと、「失敗したのは自分が悪いからだ」
「トラブルに巻き込まれたのは自分が至らないからだ」
と自分を責めてしまう人がいます。

しかし、このような考え方は本質的な「原因自分論」とは
似て非なるものです。

そのように自分を責めても、
かえって自己肯定感を下げてしまうだけで、
何も良いことはありません。

本当の「原因自分論」では、次のように考えます。

「次に失敗しないためにはどうすればいいだろうか」

「このようなトラブルに巻き込まれないためには、
どうすればよかっただろうか」

思考の対象はあくまで未来に向いており、
過去の自分を断罪する方向には向かわないのです。

ただ、こうした思考はまだまだ対処療法に過ぎません。

先述した「ブーメランの法則」の視点から考えると、
さらに違う答えが見つかるかもしれません。

たとえば、「あの人と感情的にぶつかってしまったのは、
この前別の誰かに対して自分がとった態度が
原因だったかもしれない」
とか、
「このトラブルに巻き込まれてしまったのは、
自分の中にある不安や恐れが顕在化したのかもしれない」
といった具合です。

トラブルは不幸がなぜ起きるかというと、
過去の自分が不幸やトラブルの種を蒔いたことが
原因の本質です。

自分にトラブルや不幸をもたらした人やモノは、
単なる人生の中の登場人物に過ぎず、
真の原因は外側に存在しているのです。

そして、そのような「真の原因」に目を向け、
不幸やトラブルの「種」を解消することができるのは、
他ならぬあなた自身しかいないのです。

これこそが、本当の意味の「原因自分論」です。

「原因自分論」で生きることができるようになった人は、
他人を責めたりいたずらに不幸を嘆いたりすることがありません。

なぜなら、そんなことをしても無意味だとわかっているからです。

現実を創造しているのが、自分自身だということが
本当の意味で腑に落ちれば、
2度と誰かのせいにして逃げようなどとは思わなくなるのです。

原因を悟れば問題は勝手に解決する

アインシュタインの言葉で、
「問題を作り出したままの思考では、
その問題を解決することができない」というものがあります。

これほど「原因自分論」を的確に言い表した言葉もないと思います。

アインシュタインの言に倣えば、
問題を解決しようと頑張るのは本質的ではない
ということになります。

まず、私たちがやるべきは「問題の背後にある真因」
に気づくことです。

それは、目の前の「敵」とはまったくの無関係の、
「いつか」「どこか」で起こったとある出来事かもしれません。

でも、そのことにハッと気づいたときに、
一瞬で現実が書き換わってしまうのです。

それまで憎むべき「敵」だと思っていた相手が、
自分の過ちを正してくれる「先生」として
理解されるようになるかもしれません。

そうなった途端、あなたが抱えていた問題は
問題ではなくなります。

あなたの人生を豊かにしてくれるメッセージの1つだととらえて、
感謝することができます。

そうなったときに、
あなたの思考は一段違うところに進んでいくのです。

これこそが、アインシュタインの言う
「問題を作り出したままの思考では、
その問題を解決することができない」
という言葉の本質です。

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