脳の衰えを防ぐ

メンタル

日々の業務では頭を使わない

「サラリーマンが会社に入って、
3年も経つと『ただの人』」
という言葉があります。

とはいえ、大抵の大学生は4年間遊びほうけている場合が多いので、
18歳の高校卒業時からだんだん頭が悪くなっていき、
大学を卒業する頃にはすっかりバカになっている
可能性が高いと言えます。

だから上記の言葉は、比較的優秀な学生だった人
に対して言えることです。

これは教員の世界でも、同様に散見されることです。

では、なぜ元々優秀だったはずの人が組織に入ると
能力が衰えていくのでしょうか。

端的に言うと、頭を使わなくなるからです。

「何を言うか、自分たちの仕事は高い能力を
要求されるぞ」

確かに、「頭を使わない」という発言は
いささか言い過ぎでした。

私がここで申し上げたいのは、
組織に入った人間は「組織のルール」に
縛られてしまい、

思考の枠から外に出るような自由な発想が
できなくなるという意味です。

それだけではありません。

公務員として採用されると、
本人も家族も「これで一生安泰だ」と安心してしまい、
それ以上の向上心が生まれにくくなります。

もちろん、先生方の中には勉強会に参加したり、
書籍を購入したりして、日夜勉強に励んでいらっしゃる
方もいらっしゃいますが、圧倒的少数に留まっているのが
現状です。

なぜ、その他大勢の先生方が自分を磨こうとしないかと言うと、
やはり「一生安泰」というぬるま湯に浸かっていることが
大きな理由として挙げられるのではないでしょうか。

結果として、教員10年目、20年目とキャリアを積み重ねるうちに、
目を覆わんばかりに「個人差」が生まれてしまうのです。

また、学校の業務は基本的に毎年同じことの繰り返しであり、
何年かキャリアを積めば仕事の全容が理解できるようになっています。

だから、ベテランになればなるほど、
たいして頭を使わなくても仕事が回るように
なってしまうのです。

「仕事ができる」からといって、
その人が頭を使っているとは限らないのです。

学校外の研修に出た際、すっかりオジサン、
オバサンになった同期の顔ぶれを見比べてみて、
シャキッと顔が引き締まって第一線で活躍しているような人と、
完全に腑抜けになってボーッと締まりのない顔つきで
おしゃべりに興じている人に二分しているのを
目にします。

その人の「脳の中身」は、顔つきに現れます。

こればかりはどんなにメイクをしたり、
外面を取り繕ったりしても、
無情にもさらけ出されてしまうものなのです。

公務員は退職後にボケる確率が高い

「国民総長生き時代」に突入し、
誰しもリタイア後の人生について真剣に考える
必要に迫られるようになりました。

巷で囁かれているのが、
「公務員は退職後にボケる確率が高い」
という説です。

初めのうちは、「公務員になれなかった人の嫉妬かな」
とうがった見方をしていたのですが、
どうやらそうではないみたいです。

前述したように、公務員の仕事はチャレンジングに
新しいことを創り出すというよりも、
つつがなく同じことを繰り返すことを成功と見なす
文化の上に成り立っています。

だから、たいして脳を使わなくても仕事が成り立ってしまうのです。

おまけに「一生安泰」というぬるま湯の中に浸かっているので、
自己変革をしようとするモチベーションもわかず、
ダラダラ生きてしまう確率が高くなります。

だから「子どもには勉強しろ」と発破をかけるのに、
先生はまったく勉強しないという矛盾が生じてしまうのです。

とはいえ、私の周囲の公務員退職者にはボケている人は
1人もいないので、これまた個人差によるものだろうとは
思います。

クリエイティブな趣味を持とう

公務員という仕事の特性上、業務がマンネリ化してしまうことは、
私たちにはどうしようもないことです。

そこで私がご提案したいのは、以下の2つです。

1つ目は、業務の中にクリエイティブな要素を
取り入れる工夫をすることです。

たとえば、私は国語教師なのですが、
私が担当している学年全体に「国語通信」を
発行しています。

これは、私自身「書くこと」「読むこと」
「話すこと」が大好きで、
かつ得意であるという特性を生かして、
子ども達にできる情報発信の手段として、
国語通信を発行することを選んでいます。

また、授業作りの中でも、
若手の先生方から最新のICT技術について学んだり、
書籍から学んだりしたことをアレンジして、
毎年同じ授業の繰り返しにならないよう心がけています。

このように、大きく変えようと力むのではなく、
1%でも変えられる要素を取り入れてチャレンジしていくことが、
仕事をクリエイティブにしていく工夫になるのではないか
と考えています。

2つ目は、クリエイティブな趣味を持つことです。

先ほども述べたように、私は「書くこと」「読むこと」
「話すこと」が大好きなので、その一環として
このブログ運営を行っています。

1記事1記事、心を込めて書いているので
正直楽ではありませんが、
書き終えた後に心身がエネルギーに包まれるのを感じます。

改めて、自分の才能を発揮して生きていくことが、
人生の癒しにつながるということを感じています。

私がこうした生き方に目覚めたきっかけに、
ある校長先生との出会いがあります。

その校長先生は、指導主事等を経て管理職になられた方で、
毎週のように校長通信を出して自分の思いを職員に届けようとする
熱いハートの持ち主でした。

ところが、その校長先生には教職員以外の
「もう一つの顔」がありました。

それは、国内における模型製作の権威であるということです。

たとえば、夏休みに地元のイオンモールで開催される
「特攻隊展」では、その校長先生が作成された
戦闘機やジオラマなどの模型が普通に展示されており、
改めて「すごい人なんだな」と感じさせられました。

また、模型の雑誌記事などにも寄稿されており、
あるときなどはゲラ刷りの原稿を私に見せてくださり、
「文言におかしいところがあったら、
マーカーで印を付けてくれ」
などと言われたこともありました。

その校長先生から、校長室でこんなことを言われたことがあります。

「僕たちは教師をするためだけに生まれてきたわけではないからね。
僕には模型があるように、あなたは文章で何かを表現するといい。」

仕事でも一流の結果を出されている校長先生が、
自分のライフワークを大事にされているのを拝見し、
「私もこんな生き方がしたい」と痛切に思ったのを
昨日のことのように覚えています。

幸運なことに、私は職場の上司との出会いを通して、
理想とする「生き方モデル」を得たのです。

その校長先生にとっての模型、私にとっての文章があるように、
きっとあなたにも何かクリエイティビティを発揮する道が
存在するはずです。

たった一度の人生だからこそ、諦めずに自分だけの生き方を
見つけていただきたいと思います。

学級や学校が大変だからこそ教師は成長する

公務員の仕事は、基本同じことの繰り返しだから
脳が退化しやすいと述べてきましたが、
1つだけ例外があります。

それは荒れた学校や学級で勤務している場合です。

荒れた学校や学級にいる教職員のストレスは、
戦場のそれに匹敵すると聞いたことがあります。

私は荒れた学校、学級の両方とも経験がありますが、
文字通り日々生きているだけで精一杯でした。

「どうやって明日を生き延びるか」と考えているとき、
人間は最大限に知恵を使い脳も進化するものです。

ただし、過度のストレスにさらされて
気持ちが鬱屈してしまうと、
逆に知能指数は一気に低下してしまうこともあるので
注意が必要です。

俗に「修羅場をくぐる」と言いますが、
荒れた学校や学級を切り抜ける体験は、
教師を大きく成長させます。

腹も据わり度胸が付いて、顔つきも一変します。

ただし、生徒から「逃げ腰」になって、
荒れと真正面から向き合うことをしなかった
教師は別です。

1年間の経験が水泡に帰し、
保護者や生徒から舐められて、
評判を落とすだけで終わります。

どうしてもキツいときは逃げてもいいと思いますが、
逃げても何ら本質的な解決にはならないとだけ
申し上げておきます。

問題から上手く逃げたつもりでも、
自分が変わらない限り形を変えて
何度も同じ問題が目の前に現れるものです。

荒れた学校や学級の渦中にいるときは辛いかも知れませんが、
人間を根底から鍛えてくれる筋トレだと考えて
真正面から向き合うのが、実は最良の解決策なのです。

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