ダイビングについて

フィジカル

ダイビングとの出会い

子どもの頃から、海に対して
憧れにも似た気持ちを抱いていました。

太古の昔、すべての生物が海から誕生したと
言われていることを知り、
自分の海に対する憧憬は遺伝子に刻まれた
太古の記憶に由来するものに違いないと
ロマンを掻き立てたものです。

そんな私がマリンスポーツに興味を惹かれるようになるのは、
まさに自然の成り行きでした。

大学生になった頃、当時話題になっていた
ある一本の映画に衝撃を受けます。

 

映画「グランブルー」

この映画は、フリーダイビングの第一人者とも言える
ジャック・マイヨール氏を主人公とした作品です。

映画を見ていて驚愕したのは、
100mもの深海に挑む男たちが、
マスク、スノーケル、フィン以外の道具は
何も身につけていないことです。

まさに徒手空拳で大海に挑む姿に、
すさまじい気迫と勇気を感じたものです。

この映画は、海の美しさなど映像美などが
大きく取り上げられましたが、
私はフリーダイバーたちの限界に挑む姿に
心底魅了されました。

当時、インターネットもなかった時代でしたので、
手に入る限りのフリーダイビング関係の書籍を集めて
情報を集めたのを思い出します。

そして、自分もいつかこの海中世界を
実際に見てみたいと心から願うようになりました。

Cカードの取得

そんな折、タウン誌に掲載されたダイビングスクールの
広告記事が目に止まり、格安でCカードが取得できる
キャンペーンを行っていることを知ります。

Cカードというのは、ダイビングをするために必要な資格のことで、
たとえ趣味でダイビングをする人で合っても、
提示が求められるものです。

あれは2月でした。

寒風吹き荒ぶ中、水が染み込まないドライスーツを着用して、
真冬の海の中に潜って講習を受けたのです。

海から上がって食事をするときに、
手が悴んで箸を使うのも一苦労でした。

かくして、無事にCカードを取得した私は、
生意気にも南の島で腕試しをしようと企みます。

3月、私は買い揃えたダイビンググッズを抱えて、
空港から沖縄に飛び立つのです。

宮古島の海世界

3月といえば、日本列島はまだまだ肌寒い日が続くのが通例ですが、
那覇空港に降り立つとありえないくらい暑かったのを思い出します。

那覇で一泊した私は、いよいよお目当ての場所、
宮古島へとフライトします。

なぜ宮古島を目指したかといえば、
そこには世界でもトップクラスの透明度を誇る
海があると聞いていたからです。

ダイビングの機材を背負い、
ボートからエントリーした私を待っていたのは、
絵にも描けない美しさとしか形容のしようもないほどの、
まさに竜宮城でした。

海面からでもはっきりと海底に乱立する色とりどりの珊瑚や、
熱帯魚が泳ぎ回る姿が見えたのは衝撃でした。

真冬の海に潜ってまでCカードを取得しておいてよかった、
とこの時しみじみ感じたものです。

ところが、この後だんだん雲行きが怪しくなっていきます。

ガイドの方が、さらに深みへと私を誘い始めたのです。

なんといっても、こちらは免許取り立てホヤホヤの新米ダイバー。

講習でも10m前後くらいしか潜ったことがありません。

ガイドさんについていくと、海中世界がだんだん薄暗くなっていき、
頭上にはっきり見えていたボートの姿が
遠くに影になって浮かんでいるのが見えます。

心細くなって計器を確かめると、
なんと35mを指しているではありませんか。

私は、講習で体験した3倍の深さに潜っているのです。

突如として、死がリアルなものとして感じられ、
恐怖で呼吸がだんだん浅く速くなっていくのを覚えました。

海は美しい姿で私たちを魅了し、
生命の源のような母なる存在であると同時に、
冷徹に生命を奪う厳しさの側面も併せ持つことを、
肝に銘じることとなりました。

宿泊先で体験した怖い話

その夜、私は居酒屋で泡盛のロックを傾けながら、
グルクンの唐揚げや島葡萄、ソーミンチャンプルーなどを平らげ、
自分自身を心ゆくまでねぎらいました。

酔っ払ってふらふらになってホテルに着くと、
電気をつけたまま倒れ込むようにベッドに横になりました。

それからどのくらい経ったでしょうか。

突如、ピシッピシッと生木を裂くような
乾いた音が部屋の中に鳴り響きます。

「ラップ音だ」と思う間もなく、
全身が鉛にでもなったように身動き1つできません。

部屋の中は、ねっとりとからみつくような
粘着性の空気を帯び、
異界のものがそこに居座っているような
気味悪さが渦巻いています。

したたか恐怖を味わい尽くした後フッと緊張が緩み、
目を開けると何事もなかったかのような
部屋がそこにあるだけでした。

実は、その前夜、那覇のホテルでも不思議な現象を体験しており、
2日連続でこうした怪奇と遭遇するのは初めてのことでした。

沖縄という土地柄を考えると、先の戦争で多くの方が犠牲になっており、
現世と異界との境界線が意外なほど薄いのかもしれません。

実は、こうした不思議な現象は、
旅から戻った後もちょくちょく続き、
何か連れて帰ってきちゃったのかな
などと感じたものです。

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