写経のススメ

勉強

好きな作家の文章を写すのは至高の喜び

ブログを再開するにあたって、
文章修行として久々に写経を始めました。

写経といっても、仏教の修行としてお経を写すのではなく、
自分が理想とする作家たちの文章を写していくのです。

これは、実は多くの作家たちが下積みの時期に
やっていることを告白している文章の修行の1つです。

私も過去に幾多の作家たちの文章を写してきたのですが、
今回新たに始めるにあたって心がけていることがあります。

それは、作家たちの前書きや序章の文章を写すことです。

なぜなら、前書きや最初の文章というのは
作家たちが最もこだわる部分であり、
一番力を込める部分だからです。

コピーライティングの世界に、
こんな言葉があります。

1文目の目的は、2文目を読ませること。

2文目の目的は、3文目を読ませること・・・・。

どんなにいいことが書いてある本であっても、
序文や1文目がつまらなかったら、
読者の大半は離脱してしまいます。

だから、作家は1文目に命を注ぐのです。

前書きや序章を写すのは、
作家たちが文章に言霊を込めたその精髄を
脳にインストールしてしまうのが最大の目的です。

もちろん、好きな作家であれば前書き以外も
写したくなるかもしれませんが、それは構いません。

ただし、前書きと序章だけは絶対に外すべきでは
ないのです。

作家たちが文章に命を灯す作法について、
写経を通じて学ばせていただくのです。

画家がデッサンするように文章を写す

「自分は読書家で多くの本を読んできているから、
写経なんてする必要がない」

そう嘯(うそぶ)く人がいるかもしれません。

しかし、それは本当でしょうか。

たとえば、あなたは試験勉強のときに
参考書をパラパラ読んでいるだけで、
そっくり文章が頭に入ったでしょうか。

おそらく、そんな人は皆無でしょう。

読書家だからといって作家の文体が
そっくり頭に入っていると考えるのは、
大変おこがましいことではないでしょうか。

画家志望の人たちは、自分の作品に取り掛かる前に、
アトリエにこもってシコシコとデッサンするではありませんか。

文章修行もまったく同じことなのです。

自分の好きな文体をインストールしようと思ったら、
原稿用紙に書き写すか、パチパチとキーボードを
打ち続ける以外に方法はないのです。

実は、写経以外に音読することで
文体をインストールする方法もあります。

私自身の例になりますが、
古文の文章などは授業中に範読しているだけで、
覚えようとしなくても、スラスラ頭に入ってしまいます。

好きな作家の文章があったら、写経するだけでなく
音読して音として脳にインストールしてしまうのも
ありだと思います。

好きな作家であれば、
誰に言われずともきっとそうしたくなるはずです。

相性のいい作家の文章を写す

では、どんな作家の文章を写せば
良いのでしょうか。

まずは好きな作家の文章一択です。

好きだからこそ続くし、
嫌いであれば続かない。

実にシンプルですが、それしかありません。

好きな作家の文章であれば、
何冊でも写したくなるだろうし、
それこそが最上の修行です。

写していくうちに、
句読点を打つ位置や言い回しが
予測できるようになるかもしれません。

そうなればしめたものです。

好きな作家の脳みそをインストール
し始めた証拠だからです。

ただ、問題が1つあります。

その作家の脳みそを完全にインストールできたとしても、
世間から見たら「模倣」「亜流」「二番煎じ」
でしかありません。

そんなあなたが自信満々に仕上げた作品は、
剽窃(ひょうせつ)扱いされてしまうかもしれません。

そうならないための安全弁として、
複数の作家を代わりばんこに写すことを
オススメします。

読書家であれば、好きな作家が1人だけということは
ないはずですので、堂々と自分の推しの作家を
日替わりで写せばいいのです。

もちろん、ある一時期1人の作家だけに傾倒して
集中的に写すのもかまいませんが、
必ず他の作家を写すことも忘れないことです。

そのようにして、複数の作家の文章のエッセンスを
インストールしていくと、
やがて「あなたならでは」ともいうべき味が
出てきます。

これこそが、真のオリジナルの発芽です。

それは敬愛する作家たちのオマージュに端を発した、
唯一無二のあなたの文体に他ならないのです。

ぜひ、そうなるまで手を動かしてほしいと思います。

結果を求めずとにかく写す

「いつまで、そんな修行を続ければいいの?」

そんな疑問が浮かんだ人がいるかもしれません。

それは人によると思います。

3ヶ月かもしれないし、
半年かもしれない。

あるいは、私のように思い出したように
10数年ぶりに再開するかもしれません。

文章修行と銘打ってはいますが、
写経には全然堅苦しさがありません。

本好きにとっては、
たまらない娯楽でしかありません。

好きな作家の文章を書き写すうちに、
いつしか勝手に手が動いて文章を
紡ぎ出すようになるかもしれません。

ともあれ、書くのが幸せであれば、
それがその人にとっての正解です。

あなたにも幸せな写経ライフが訪れることを
願っています。

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