教育現場崩壊の危機
私が危惧していることの1つに、
教員全入時代の到来があります。
私が新卒だった20年ほど前は就職氷河期の真っ只中で、
教員養成大学を出ていても教員になるのを諦める人が
一定数存在していました。
私の先輩や同級生の中にも、教員以外の職に就いた人が
結構な数いたのを覚えています。
それが今や、教員不足が深刻な問題となっています。
次年度のスタッフの頭数が揃わず、
頭を痛めている学校長も多いと聞きます。
文科省は窮余の一策として、
教員免許を取得したものの一度も教壇に立ったことのない
ペーパー教員の掘り起こしを指示しました。
そして、学校に配属されたペーパー教員が次々と学級を荒らし、
授業を崩壊させていってしまっているのです。
こんなことは現場の教員であれば、
誰でも容易に予想がつくことです。
そもそも教師という仕事は、
誰にでもできるような簡単な仕事ではありません。
一昔前の、世の中が学校の先生を崇めてくれていた
時代ならいざ知らず、この厳しい教育乱世において
力なき教師の居場所などどこにもないのです。
言葉は悪いですが、
ぬくぬくと家庭の主婦におさまっていた人が、
いきなり教壇に立って通用するほど、
教員の世界は甘くありません。
正直、親としての子育ての経験は、
教員という仕事ではほとんど役に立ちません。
まったく家庭環境も、
個性も才能も異なる30人の子供たちに
伝わるように指示を出し、
まとめあげなければならないのです。
家庭の子育て程度では、
こなしてきた場数と経験の桁が
まったくお話しにならないということを
認識するべきです。
増え続けるFランク大学卒の教師
教員全入時代に伴い、Fランク大学卒業生が
教員に採用されることが多くなりました。
かつて、教員といえば国公立大学の教員養成課程を
出ているのが相場でしたが、
今や私立の大学からでも簡単に教員免許を
取得できるようになってしまったのです。
ここでFランク大学卒業生のすべてがダメといった、
決めつけで話をしようとは思いません。
しかし、国公立大学卒業とFランク大学卒業とでは、
備わっている地頭がまるっきり違うのも事実です。
こういうと、
「いや社会に出てから必要なのは人間力であって、
学力ではない」と反論する人も出てきます。
もちろん、人間力が重要であることについては、
反論の余地はありません。
仮に愛情にあふれて人間味いっぱいの
教師がいたとします。
心から子供を愛し、教育に情熱を捧げている教師。
しかし、その教師には悲しいかな学力がありません。
難しい漢字を読むこともできず、
仕事の段取りを組むことも苦手です。
子供の作文を添削しようとしても、
簡単な「てにをは」くらいしか直すことができません。
はたして、この教師の下で子供たちは
どんな成長を遂げることができるのでしょうか。
間違いなくこの教師の下では、学力は育ちません。
下手すれば学力崩壊が生じる危険性もあります。
学習計画もまともに立てることができないので、
行事も途中で頓挫してしまうかもしれません。
教師に左脳的な学力が足りていない場合、
こうした問題が起こりかねないのです。
では本当に人間力に学力は不要なのでしょうか。
人を巻き込むコミュ二ケーション能力や、
説得するための論理的能力は学力の下支えが
あってこそ成り立ちます。
さらに、相手の思いに共感したり、
気持ちを汲み取ったりする右脳的な能力も、
完全に学力と切り離して考えることは難しいと思います。
むしろ私の周囲でも、魅力的に仕事をバリバリこなして
保護者からの信頼も厚い教師は、
普段からよく本を読んだり映画を鑑賞したりして、
よく学んでいるものです。
逆に、国公立大学を卒業した教師でも、
学校を卒業してからろくに本も読まない人は、
仕事もイマイチで人間的魅力にも乏しい傾向にあるようです。
勉強しない教師は職場のお荷物
Fランク大学を卒業しながらも、
ごく稀に仕事力を発揮しながら職場を統率して
輝いている人もいます。
彼らの特徴は、学ぶことに貪欲であることです。
勉強会があると聞けば足を運び、
良書を薦められれば手に取って読み、
日々自分をアップデートさせ続けているのです。
国公立大学を卒業しているのに、
勉強不足で沈んでいく人たちとは
対極の位置にあるのです。
ここからわかることは、
スタート地点がどこであったとしても、
勉強次第で人生を拓くことは誰にでも
可能であるということです。
最近思うのは、
「本当にみんな本を読まなくなった」
ということです。
本を読むことだけが勉強ではないということも
重々承知していますが、本ほど安い投資もないと思います。
1冊の本代1500円を支払えば、
数時間1万円のセミナーを凌駕するほどの
知恵を獲得することが可能なのです。
「本なんか読んでも、たいして役に立たないよ」と
反論する人もいるかもしれません。
そういうことを言う人に、
「ではあなたは何冊の本を読んできたのですか?」と尋ねると、
年間に数冊程度しか本を読まないと答える人がほとんどです。
読書の効用うんぬんを口にするなら、
最低でも1000冊以上の本を読んでからにすることです。
10年くらいかけてそのくらい読めば、
明らかに人生が変わったことを実感するはずです。
もっというなら、100冊も読めば少しずつ
何かが変わり始めたことを実感するはずです。
どうしても本が読めないというのなら、
オーディオブックでもよいではありませんか。
隙間時間に浴びるほどオーディオブックを聴き続けていれば、
モノの見方や感じ方が少しずつ変わってきます。
オーディオブックの利点は、
繰り返し読書が苦にならないことです。
「これぞ」という良書を発掘したら、
ぜひオーディオブックでも購入して、
反復読書を試してほしいと思います。
何のために教師をしているかを問い直す
ところで、あなたは何のために教師をしているのでしょうか。
こう聞かれて、即座に幾つかの理由が出てこないとしたら、
あなたの中に教師としての基軸が育っていないということになります。
まずは紙とペンを準備して、
教師をしている理由を列挙してみることをお勧めします。
こうしたメモ書きを毎日続けていくと、
変わらず出てくる項目と、
少しずつ変化していく項目とに分かれるはずです。
この作業を経て、最終的に残った項目こそが、
現時点におけるあなたが教師を続ける理由に他なりません。
自分が教師をしている理由が明確になれば、
もっと成長したいという思いに駆られるかもしれません。
それがあなたにとっての勉強のモチベーションとなれば幸いです。
輝いているあなたの姿こそが、
目の前にいる子供たちの幸せにつながっていくはずです。
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