授業力は生徒指導のキモ
最近こんな話を聞きました。
「若手の先生達が、赤刷りの指導書を片手に授業している。
どうもまともに教材研究をしていないようだ。」
まあこれは、ベテランの教員にも多いかもしれませんね。
しかし、その怠惰な習慣が積もり積もって、
生徒指導を困難にしたり、学級経営に支障を
来したりするとしたら、
それでもあなたは教材研究をサボりますか?
突然、ショッキングなことを申し上げましたが、
別にあなたを脅かすためにこんなことを書いたのでは
ありません。
だって考えてみてください。
生徒たちは、学校滞在時間の大半を
「授業」を受けて過ごすのです。
その授業がつまらないとしたら、
心に不満がたまっていくのは当たり前です。
もしも、これがつまらないテレビ番組や、
YouTubeチャンネルだとしたら、
再生ボタンを停止すれば済む話ですが、
授業となるとそうはいきません。
授業終了のチャイムが鳴るまで、
生徒たちは席から立てないのです。
これはちょっとした「生き地獄」だな、
と気づかれるのではないでしょうか。
「生徒指導が上手くいかない」
「学級経営が上手くいかない」という人は、
ご自分の授業を振り返ってみられることです。
「最近、教材研究もまともにやっていない」
「もう何年も教科指導の勉強をやっていない」
「淡々と自分のおしゃべりだけで授業を進めている」
「生徒たちは黙々と板書をノートに写しているだけ」
心当たりがある人は、生徒との関係性に危険信号が灯っている
と考えた方がいいと思います。
「そんなことない。自分は生徒たちと積極的に
コミュニケーションを取っているし、関係性もできている。」
と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
もしかしたら、現状は上手くいっているかもしれません。
でも、その関係性は「砂上の楼閣」に過ぎません。
仮に3月まで、その子たちと上手くやれたとしても、
4月に新しく出会った子たちと上手くやれるとは限りません。
つまり、確たる「授業力」という基盤を持たない教師は、
生徒指導や学級経営を「偶発性」に頼っており、
「再現性」を持っていないのです。
これがどれほど怖いことか、少しは実感がわいてきたのでは
ないかと思います。
本を読んで勉強をする
「このままじゃマズイ」と思われた方は、
すぐに書店に走り「教科指導」について書かれた
書籍を何冊か買い求めることです。
なぜなら、1冊の本を読んだだけでは、
その教科特有の原理・原則が見えてこないからです。
複数の書籍にあたり読み込んでいくと、
おぼろげながら少しずつ教科指導における
原理・原則が見えてきます。
プロとアマチュアを分ける境界線は、
この原理・原則が見えているかどうかです。
実際の技量はともかくとして、
この原理・原則をとらえることができたら、
少なくともアマチュアのレベルからは一線を画することができた、
ということです。
人から学ぶ
とはいえ、書籍だけから学ぶのにも限界があります。
優れた教師の実践を学んだり、研究授業や研究会に参加したり
するなどして、知見を広げることです。
また、リアル開催の研修だけでなく、
最近はコロナの影響でオンライン開催の研修も増えました。
おかげで、他県の先生の実践や研究発表を自宅に居ながらにして、
学ぶこともできるようになりました。
オンライン研修の利点は、夜や早朝など時間帯に比較的縛られることなく
参加できることです。
また最近は、ZOOMを用いてサークル活動を行っている団体も多いようです。
これまで人から学ぶには、リアルに会うしか方法がなく、
時間や距離などの制約に縛られてきたのですが、
文明の利器の活用によって、学びの可能性が広がったことは
大変素晴らしいことだと思います。
もちろん、リアルで人と会うことより伝わる「空気感」や「雰囲気」
というものもありますので、可能であれば対面で学んだ方がいいのかな、
とは思います。
しかし、地方在住の者にとって、オンラインでの学びの拡大は
大変ありがたく歓迎すべき出来事だと感謝しています。
1時間ごとに略案を作る
若い頃に、ある尊敬する先生が「僕は毎時間略案を作ってきた。
今の自分があるのは、このおかげ」と語るのを聞いて、
「よし、自分もやろう」と思い立ちました。
このことを人に話すと、「すごいね」とか「大変だね」
とか言われますが、馴れてくると別に大変ではなくなります。
むしろ、略案なしに授業する方が不安に感じてしまうほどです。
略案を作ることの利点は、自分の中の曖昧な部分が
クリアになることです。
授業の組み立ての中で仮に迷いがあったとしても、
略案を作る以上その部分を空白にするわけにはいきません。
頭の中を整理して授業に臨む上で、
略案を作ることは非常に役立っていると思います。
正直、馴れてしまえば指導案を書くことなど、
お茶の子さいさいなのです。
むしろ大変なのは、教材研究です。
野口芳宏先生は、教材研究は「素材研究」「教材研究」
「指導法研究」の3つに分けて行なうと
述べていらっしゃいます。
この「素材研究」がもっとも大変で、
じっくり時間をかけるべきプロセスです。
国語教師であれば、素材としての作品と向き合い、
その内容や構成、魅力を十分に吟味、検討することで、
指導事項を明確にするための「教材研究」へと
進んでいくことができるのです。
その上で、どのように指導するかという
「指導法研究」の段階が見えてくるのです。
いわば「赤刷りの指導書を片手に授業する」のは、
「指導法」をカンニングしながら授業しているような
ものなのです。
これで子どもに力が付いたとしたら、正直奇跡です。
1人研究授業
野中信行先生は、1人研究授業というアイディアを
ご提案されています。
これは月に1度自分の授業を録音し、
授業後に録音音声を聴いて自分の授業を振り返る
というものです。
初めてこれを行ったときは、正直ショックで引いてしまいました。
「話し方が聞き取りにくい」
「説明がくどい」
「話しすぎている」
「なんちゅう下手くそな授業じゃ」と、音声を流し続ける
スマホを投げ捨てたくなりました。
でも、「こんなつまらない授業を聞かされる生徒たちこそ犠牲者だ」
と思い直し、頑張って最後まで聴き通しました。
しかし、我慢してこれを続けていくと、徐々に授業が変わり始めたのです。
違和感なく自分の授業を聞けるようになってきた頃、
生徒たちの授業の食いつきが良くなるだけでなく、
地区内での実力テストの順位も向上し、
自分の授業のレベルが明らかに変わったことを確信しました。
向山洋一先生は、「授業技量向上のために、
100回研究授業をすること」を提案されています。
とはいえ、一般の教員が100回の研究授業をするのは、
現実的になかなか難しいのではないでしょうか。
しかし、この1人研究授業であれば、
その気になれば100回研究授業をこなすことは可能です。
私もまだ100回1人研究授業は達成できていませんので、
これを機にチャレンジしてみようと思っています。
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