美しさは快適の最大要素

仕事

仕事机を片付ける

仕事が立て込んでくると、
私のデスクは見る間にモノが積み上がっていきます。

内心「片付けなきゃ」と思いつつも、
忙しさにかまけてついつい後回しにしてしまうのです。

そんなとき、私は仕事が終わって帰路に就く前に、
せめてデスクの上のプリント類を整理することにしています。

整頓ではなく、整理です。

整理とは要らないものを捨てることで、
整頓とは美しく並べることです。

整頓はたいして頭を使いませんが、
整理には思考を要します。

「これを捨てたら、後々困るのでは」とか
「これはもう使わないからシュレッダー」という具合に、
その都度思考を巡らせなければなりません。

つまり、私たちはモノを整理することを通して、
頭の中も整理しているのです。

ということは、グチャグチャになって
モノが積み上がったデスクというのは、
持ち主の頭の中を雄弁に物語っているのです。

整理されない頭で、日々の仕事に臨む。

こう書くと、これがいかにヤバい事態か
そろそろお気づきになったのではないでしょうか。

「そんなことはない。
うちの学校にはデスクがグチャグチャだけど
仕事ができる先生はいるよ」

確かに、持ち前の地頭があればグチャグチャのデスクでも、
日常の業務をこなすことは何の支障もないでしょう。

でも、長期的にパフォーマンスを求められたり、
大きな仕事を任されたりしたときには、
間違いなく化けの皮がはがれます。

私はそうした事例をたくさん見てきました。

まして、私たちは子ども達に対して、
「片付け」の指導を行っているはずです。

子ども達に求めていることを大人ができないというのは、
ちょっと恥ずかしいと思うのですが、いかがでしょうか。

教室を片付ける

荒れたクラスというのは、一目見て分かります。

どこか雰囲気がよどんでいるのです。

波動が乱れていると言ってもいいでしょう。

子ども達の表情がすさんでおり、
冷笑を浮かべたり、教師の言うことに目配せし合ったりして、
嫌なオーラを醸し出します。

もちろん、子ども達の荒れというのは、
学校だけが原因で引き起こされるわけではありません。

根底には家庭内で不満や不安を抱えていたり、
愛を満たされていなかったりすることが、
不安定な思考や行動として現象化しているのです。

そこは、どんなに力のある教師といえども
踏み込めない領域です。

では、私たち教師は打つ手なしなのでしょうか。

そんなことはありません。

かつて、ニューヨークが犯罪都市と呼ばれていた頃、
ジュリアーニ市長が「落書き」「未成年者の喫煙」
「違法駐車」などの軽犯罪を中心に取り締まったところ、
約5年で治安が回復しニューヨークの重犯罪も
激減したと言われています。

このとき、ジュリアーニ氏が取り入れたのが、
「割れ窓理論」という以下のような考え方です。

建物の窓が割れているのを放置すると、誰もその地域に関心を払っていないというサインとなり、犯罪を起こしやすい環境を作り出す。
ゴミのポイ捨てなどの軽犯罪が起こり始める。
住民のモラルが低下し、さらに環境を悪化させる。
凶悪犯罪を含めた犯罪が多発するようになる。

確かに、日本でも都会の裏通りを歩いていると、
壁にスプレーの落書きが放置されている地域があり、
そういう場所に限って治安も悪いものです。

この「割れ窓理論」という考え方は、
そのまま学級経営、学校経営に通じます。

つまり荒れの未然防止、
荒れから立ち直らせるための処方箋として、
環境整備は第一に取り組むべき課題なのです。

ご自分の学級などを客観的にご覧になって、
「なんだか落ち着かないな」とか「整ってないな」と
感じるときには、まったく同じことを子ども達も
感じているということです。

そして、その場所の責任者である教師が
環境の乱れを放置すると、

子ども達は「乱してもよい」というサインとして
受け取ります。

そのようにして、少しずつモラルが崩壊していくのです。

確かに、子ども達に元々内在している「荒れ」を作りだしたのは、
教師ではなかったかもしれません。

しかし、内在していた「荒れ」を引き出してしまったのは、
教師である自分かもしれないと考えてみるのです。

そして、その一番のきっかけは、
教室の環境の乱れを放置してしまったことに
あるのかもしれない。

もしもそうであれば、打つ手は見えてきます。

子どもたちが帰った後、教室の環境を見届ける
という一手間を惜しむかどうかで、
運命が天国と地獄に分かれてしまうとしたら、
こんな怖いことはありません。

まずは自分の部屋を整える

「私は職場のデスクは綺麗に片付けている」と
胸を張っている人の中にも、自宅の部屋となると
「ちょっと・・・」と口ごもる人が少なくありません。

この人は「仕事人」としてはきちんとしているのかもしれませんが、
人生の優先順位を間違えています。

職場の奴隷として生きるのがあなたの夢なら何も言いませんが、
人としての幸せを享受したいのなら、
愛とエネルギーを注ぐべき優先順位の最上位は
まず「自分」です。

なぜか、その理由を2つ述べます。

1つ目は、人は「あなたが自分を扱う」ように、
あなたのことを扱うからです。

職場のデスクを優先して、自分の部屋に愛を注げないということは、
自分のことをまだ十分に愛し切れていないということです。

あなたと相対した人は、そのことをきっと深いところで
感じ取るはずです。

2つ目は、「割れ窓理論」はその部屋に住まう
あなた自身にも適用されるからです。

ゴミゴミした部屋に暮らしていたら、
あなたの心身は少しずつ荒んでいきます。

そのことは、ひいてはモラルの低下を招き、
生活習慣の乱れへとつながっていきます。

私生活が荒んでいくと、「仕事人」としても
高いパフォーマンスが残せなくなります。

せっかく仕事を頑張ろうとしているのに、
これでは本当にもったいないです。

そんなあなたがやるべきことは、
前述したとおり、整頓ではなく、整理です。

休みの日などを利用して、何年も見返していない本や、
何年も使っていない資料、何年も袖を通していない
衣服などを思い切って断捨離してみてください。

「自然は真空を嫌う」ので、
モノが減ったことによって生まれた隙間に、
きっと新たな人生の展開が流れ込んでくるに
違いありません。

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