雨に煙る出雲大社
ゴールデンウィークに、
出雲の方に家族旅行に出かけたことについて
書きたいと思います。
5月3日は朝から雨模様で、
断続的に雨足が強まったり弱まったり
していました。
決して参拝日和とは言えませんが、
朝も早いうちから境内には人が溢れていました。
雨に煙る本殿はどことなく神さびていて、
敬虔な気持ちに打たれました。
本殿の東西には「十九社」と呼ばれる宿舎があり、
神在月の時には各地から集まった神々が
そこにお泊まりになるのだそうです。
ちなみに、初日の夕方に稲佐の浜を訪れたのですが、
ここは神在月に全国の八百万の神々をお迎えする
「神迎神事」が行われる神聖な場所なのだそうです。
また、NHKの朝ドラ「ばけばけ」のロケ地でも
あったとのことで、聖地巡礼に訪れるファンで
混み合っていました。
境内の中に設けられた宝物殿には、
歴代の錚々たる天下人によって奉納された
品々がずらりと展示されています。
豊臣秀吉、徳川家康らの佩刀や
足利義政の甲冑などが
奉納されているのを見て、
出雲大社が日本の信仰の中枢であり、
時の権力者たちにとっても特別の場所であった
ことがうかがえます。
小泉八雲と虫の声
出雲大社の参拝を済ませると、
「ばけばけ」のコアなファンである妻のたっての希望で、
小泉八雲記念館に向かいました。
そこで、小泉八雲についての
興味深い説明を見つけました。
小泉八雲は竹籠で松虫や鈴虫を飼い、
その鳴き声や虫にまつわる日本の風情を
深く愛していたそうです。
虫の声を愛するのは「日本人独特の感性」ということを
何かの本で読んでいたので、
小泉八雲はまさに日本人の感性を持った
西洋人であったのだと感じました。
だからこそ、怪談をはじめとする日本人の
琴線に触れる文学を残すことができたのでしょう。
小泉八雲の作品には、夏目漱石らも影響を受けていたと
説明の中にありました。
壇ノ浦と平家物語
5月5日、旅の最終日。この日はそれまで
雨続きだったのが嘘のように晴れていました。
帰途につく途中で、下関の壇ノ浦に立ち寄りました。
なぜなら、私にとって平家物語は論文のテーマに
選んだほど特別な作品であり、
過去にも香川県の屋島の古戦場跡を訪れたり、
数年前にも壇ノ浦を訪れたりしていました。
このゴールデンウィークの時期は安徳天皇のご命日にあたり、
壇ノ浦の近くにある赤間神宮では、
2日〜4日にかけて先帝祭が執り行われていました。
安徳天皇は祖母である二位尼に抱かれて壇ノ浦に入水し、
8歳という幼さで崩御されました。
二位尼の辞世の句は、
「今ぞ知るみもすそ川の御ながれ波の下にも
みやこありとは」
で、それにちなんでその場所は「みもすそ川町」と
いう地名がついており、みもすそ川公園には義経の八艘飛びと、
平知盛が碇を巻きつけた像が立っています。
平知盛といえば、最期に「見るべき程の事をば見つ。
今はただ自害せん」と言い残して、
碇を体に巻きつけて入水したと伝えられます。
赤間神宮の参道は海に続き、岸壁には一体の碇が
置かれています。
平知盛の武勇を偲ぶ下関の人々の想いが
静かに息づいているように感じられました。
ちなみに、赤間神宮はかつて阿弥陀寺というお寺で、
そこにいた琵琶法師が「芳一」という名前であったと
伝えられています。
小泉八雲が書いた「耳なし芳一」は、
まさにこの阿弥陀寺に残る言い伝えがもとになっており、
赤間神宮の一角には平家の武将たちを祀る七盛塚と、
芳一を祀る芳一堂があり、線香の煙が絶えることがありません。
かつて壇ノ浦の漁師たちは、
船の上では正座をして漁をしていたそうです。
海の底に眠る安徳天皇への敬意を欠かさないためであり、
壇ノ浦の漁師たちは平家の生き残りであったという
言い伝えも残っています。
小泉八雲という一本の糸に導かれて
出雲大社に始まり、壇ノ浦に幕を閉じた
今回の旅を改めて振り返ると、小泉八雲という
キーワードで貫かれていたことに気付かされます。
日本人が古来より感じ取ってきた、
目に見えないものへの畏れ、
死者への敬意、自然の音に宿る情緒。
小泉八雲は、そうした日本人の心の奥底に流れるものを、
西洋人でありながら鋭く感じ取り、言葉に残した人だった
のだと思います。
今回の旅を終えて、私もまた、
八雲の作品を読み直してみたいと思うようになりました。

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